ごきげんよう!さわこです。

 

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石工は鏝(こて)の他に鑿(のみ)を持っていて、ぴったりとはまる妨げになっている余計な部分を削ります。

 
今の私たちの、来るべき御国に相応しくない部分を、削り取っておられるのです。
 
「おそらく世界で最も才能のある石工はインカ人であり・・・」と、
読みながら、胸が詰まりました。
 
そのインカ文明を破壊し大虐殺したキリスト教国家を思ってしまうのです。
中学高校生時代には、知識が増えるたびにキリスト教会の恐ろしさおぞましさに嫌悪感が湧いたことを思います。
いったいどこが愛の宗教なんだ!
と、吠えずにはいられなかった思春期の私。
 
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聖書研究によって、神の御品性を学ぶことがなかったら、今もキリスト教を軽蔑していただろうと思います。
 
キリスト教会に欠けているのは、謙遜でありキリストの精神にほかならない。
何故? いったいどうして?
 
この疑問への答えは「大争闘神学」にあることが、やがて分かるようになりました。
 
気持ちのスイッチを切り替えて終わりまで読みました。
 
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共同体の中で生きるためには、私たちは必ず他の「生きた石」と隣り合わせに置かれます。
 
主は、キリストの体の中で、それぞれの個性を犠牲にすることなく、繋ぎ目が分からなくなるまで、辛抱強く私たちの人格に働きかけてくださいます。
 
罪人が自然に調和することはありませんが、神は天の鑿を使って私たちが調和するまで、私たちの人格形成をも続けておられるのです。
 
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マラナ・タ
安息日ガイド2022.9.6を読みながら、主の忍耐に感謝して、主の御名を讃えました。