ごきげんよう!さわこです。
残暑はまだまだ、厳しいですが、
もう9月になりました。
(9月3日の安息日礼拝説教メモより)
・言葉は、私たちに与えられている最強な武器です。
その武器を通して、人を救うこともできます。
しかし、その反対に使い方を間違えると
人を滅びに導くことになってしまうこともあるのです。
・私たちはキリストの恵みに預かれるだけでなく、
キリストの苦難にも共に結ばれています。
それが現代の私たちのあるべき姿です。
・ あなたがたは、キリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、
彼のために苦しむことをも賜っている。(ピリピ1:29)
・ 私たちが、自分の地位や人間的な考えや哲学に頼らず、
神様の御言葉を優先し、
本当の意味で神様に全てを委ねるとき、
ペンテコステ以上の力が私たちに注がれるのです。
・もし私たちが、神様に本当に委ねているのであれば、
「ど田舎」であろうが「荒れ野」であろうが、
神様の力によって人が集まり、
神の力によって人々の心は変えられて行くのです。
・荒れ野とは、物理的なことではなく、
心の状態をも示していると思います。
私たちの心の中には、
いろいろな種類の荒れ野が存在します。
私たちの心は見苦しい荒れ野状態にあるので、
私たちはみな神の恵みを必要としているのです。
・そのような心に対して、
叫ぶ声がバプテスマのヨハネの使命なのです。
・それは、キリストを信じる私たちの使命でもあります。
荒れ野で叫ぶ声とは?
預言者の働きです。
神様か語られたことを代わりに人々に語ることです。
・そこには、世的哲学・世的学問・世的知識・自分の人間的な考えは含まれません。
厳粛で神聖な神の御言葉です。
マラナ・タ
私たちの伝えるべき第一は、キリストの再臨を告げることです。
再臨後、新たに救われる人はいないからです。