ごきげんよう!さわこです。

 

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聖書には他者に仕えるために「裂かれた」人々の模範があります。

モーセは、約束の地に民を導いた時、絶えざる悪口と批判に耐えなければなりませんでした。

ヨセフは、エジプトで仕える地位に導かれた時、裏切りと投獄の憂き目に遭わなければなりませんでした。

    (2022.8.28安息日学校聖書研究ガイドより)

 

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今朝、ここを読んだだけで、

「裂かれる」ことの霊的な意味が分かりました。

 

悪口、批判、裏切りに遭う時、

そうされても仕方ないような原因が私自身にあるからであるに違いないと、

行き過ぎた自己批判のどつぼにはまり込むことがあります。

 

あるいは、そうした人々の悪意に対して、

理不尽な言いがかりだと、心を騒がすことに、

囚われてしまうこともあります。

 

どちらにも、引きずられてしまうことなく、

まず、神に目を上げて、

 

「主よ、あなたがその状況を許可なさいましたことを受け入れます。私の感情ではなく、あなたに賜った信仰で受け入れさせてください」と祈りたいと思いました。

 

 

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自分の感情に呑まれないで、「怒らず辛抱して耐える」ための訓練によって、主が私たちをリードしてくださらなければ、「柔和・謙遜」は、自力では到底、達し得ない、御霊の実なのだと分かりました。

 

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楓の木が大きくそだっています。

実がたくさんなっています。

食用にはなりませんが、

クリスマスツリーのおしゃれな飾りができます。

 

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マラナ・タ

「裂かれる」ということは、

「裂かれた人」になることによって、

主に用いられる有用な存在になります。

 

それは同時に、キリストのお苦しみに

おあずかりすることであります。