ごきげんよう!さわこです
今朝、5時10分に散歩に出ました。
月齢16,4の月がおぼろに浮かんでいました。
12日が満月でしたから、これから少しずつ欠けて行きます。
2022.8.13今日の光より
教会の霊的な賜物が、自己満足や娯楽のために使われているように見えるときには、何かが間違っているというサインです。
神の臨在を楽しむことは悪いことではありません。
むしろ、その瞬間を楽しまない人はいないでしょう。
私自身、神の臨在を感じ、喜びの涙を流したことが何度もあります。
しかし、聖霊の賜物は、キリストを讃美するという目的のために与えられていることを忘れてはなりません。
それは伝道の働きのためであり、伝道をより効果的にするために教会に与えられた特別な能力なのです。
賜物が内向きになるとき、問題が生じます。
聖霊の賜物がおもに感情的な体験に関するものになると、
それは的外れになってしまうのです。
五旬祭の日に弟子たちの上に炎のような舌がとどまった理由は、
「天下のあらゆる国から」人々が集まっていたからでした。
このできごとは、イエスを信じるように群衆を促すペトロの公開説教に繋がり、そして、何千もの人々にバプテスマを授けることに至りました。
使徒言行録を読むと、神が奇蹟を行われるのは、まだ、神の王国の端に居て、そこに入るのを待っている人々にご自身を現すためであることがわかります。
奇蹟は聖霊の賜物と同様、招待状の役割を果たしているのです。
神のご品性と同じく、奇蹟は外に向けられたものであり、その目的はイエスの栄光を現し、人々の心を、道であり真理であり、命である方に導くことなのです。
マラナ・タ
聖霊の賜物は、キリストを讃美するという目的のために、
伝道の働きのために、伝道をより効果的にするために
教会に与えられた特別な能力なのです。