ごきげんよう!さわこです
今朝は5時過ぎに歩きに出ました。
朝焼けがきれい。
今日の光2022.8.12には、黙示録19:10 に出て来る「イエスの証は預言の霊」についての解釈が他の幾つもの聖句を根拠に書かれていました。
イエスの証とは、イエスを明らかにすることに過ぎない、ということではなく、
イエスの証しとは、預言の霊であると明確に定義しています。
ヨハネ19:10「・・・イエスの証しは、すなわち預言の霊である」
★キリストが教会に対してあかしされる御旨を取り次ぐ預言者が与えられることを意味している。(野崎金一)
★御旨を取り次ぐ預言者とは、エレン・G・ホワイトである。
1、黙示録22:9 「あなたの兄弟である預言者たち」から、預言の霊をもつのは預言者た ちである。
2、コリント第一1:6.7
「キリストについての証があなたがたの中で確かなものとなったので、その結果、あなた方は賜物に何一つ欠けるところがない」
キリストの証しが、預言の賜物であることは、パウロの言葉でも証明されます。
3、黙示録1:2
黙示録の冒頭で、これから書くことの預言的メッセージと表現して「イエス・キリストの証し」について証をすると。
つまり、預言の賜物は終末時代の神の民に見出されるものてあり、聖書を注意深く学ぶ者にとっては驚くべきことではない。
4、ローマ12章・1コリント12章・エフェソ4章
これらには聖書の霊的賜物のリストがある。
このようなことが起こっているのは、歴史の終着点が近い明確な証拠です。
こうして関連聖句を味わうことによって、イエスの証とは、イエスを明らかにすることではなく、預言の霊なのだ、との意味がよく分かりました。
ローマ12:6「・・・わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物をもっているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、・・・」
1コリント12:4「霊の賜物は種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。」
エフェソ4:11、12、13「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは、奉仕の業に適したものとされ、キリストの体を造り上げて行き、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長するのです」
「今日の光」を読みながら、我が教会の歴史に思いを馳せました。
私たちセブンスデー・アドベンチスト教会は、16世紀の宗教改革の後、19世紀半ば、プロテスタント教会の中から、再臨運動のあと、イエスが再臨なさらなかったという大失望の中で、聖書研究を再び始めた少数のクリスチャンの集まりの中から生まれました。
そんな中で「預言の霊の賜物」を神から賜ったのがエレン・ホワイトでした。
1827年に生まれ、88歳で1915年に没しています。
エレンはルターの95か条の提題が出された1517年から310年後に生まれています。
ルターの時代にもエレン・ホワイトの時代にも、空には電線は架かっていませんでした。山にも鉄塔は立っておらず、高層ビルもなく、空はどんなに広かったことだろかと思います。
マラナ・タ
イエス様の再臨の前に起きる徴は次々と現れています。