ごきげんよう!さわこです
動物も天国に行けますか?行けますとも!
このテーマで聖書による神様のお約束を確認したいと思います。
何故、そうしようと思ったのかその理由は
21年と8カ月の間、飼っていた愛犬のおじゃるが死んでしまったからなのです。
私の家はおじゃるで5代目です。
子どもたちが小さい時から、犬のいる生活をしてきました。
最初の2匹は雄犬で、家出をして帰ってきませんでした。
小動物センターに問い合わせて捕まっていないか聞きましたが、いないんですね。
どこかの誰かに保護されて、他所の家の子になったのかもしれません。
それで、数年間は飼っていませんでしたが、やっぱり犬を飼いたくて、今度は雌犬にしました。
3代目はぬう、4代目はノアクロウ、5代目がおじゃるです。
おじゃるが一番長生きしました。
この三匹の雌犬たちは、ほんとに賢くて、子どもたちの心が分かる良い子たちでした。
子供たちの小さい時代にはお守をしてくれました。
一緒に遊んでくれたし、しょんぼりしているとそっと寄り添ってくれました。
ローマ12:15「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」を実行しているんですね。
犬は言葉で話せません。
でも、しっぽで思いを伝えることができるんですね。
目の輝きと全身で喜びや服従や恐怖を表現できるんですね。
そうそう、うちの子たちは無駄吠えはしませんでした。
飼い主の言う事を聞き分けるんですね。
飼い主との心の絆がしっかり繋がっていると、とても忠実です。
5愛したら、10になって愛が返って来るんです。
ヌウもノアクロウもおじゃるも、天国で再会できるだろうか。
聖書にその約束はあるんだろうか。
私たちはイエスさまのご再臨の後、天国に登って行くってことを知っています。
じゃあ、天国にも動物はいるんでしょうか?
イザヤ書11章6節から10節
「狼は小羊と共に宿り、豹は、子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は、毒蛇の穴に戯れ、幼子はマムシの巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。」「その日が来れば、エッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」
天国では、「害を加えず滅ぼすこともない」と書いてありますね。
肉食動物が草食動物を追い回して襲って殺して食糧にされることはないのだとわかります。
狼・小羊・豹・子山羊・子牛・若獅子(ライオン)・牛・熊・毒蛇・マムシと出てきます。
地上での肉食獣も毒蛇も、天国では、天国仕様に変えられていることが分かります。
10節の「その日が来れば」とはご再臨の日が来ると言う意味です。
9節の「大地」とはこの地球上のことです。
ご再臨の後、イエス様と一緒に天に上って行って、天の国・つまり神の国で千年間暮らすことになります。
そのことを「千年期」といいます。
千年期が終わると、天の国である神の国が、荒廃した地上に降りて来て、罪で荒廃しきった大地を神の国がおおうのです。
ですから「大地は主を知る知識で満たされる。」という事が起きるんですね。
イザヤ65章25節
「狼と小羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、害することもない、と主は言われる」
11章と似ていますね。ここでの動物の食べ物は、草とわらです。
「害することも滅ぼすこともない」と書いていますから、小さくて弱い動物が、肉食動物に害を受けて殺されることは起きないということです。
次に神様は小さい昆虫をどのように見てくださっているでしょうか。
箴言6章6,7,8節
「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。蟻には首領もなく、指揮官も支配者もいないが、夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める」
神さまが怠けている人間に、蟻から学びなさいと戒めています。
蟻も神様がお造りになりました。
蟻は神様に創造されて神さまから教えられた通りに、働いているんですね。
怠けていないんですね。
箴言の30章4節~27節
「この地上に小さなものが四つある。それは知恵者の中の知恵者だ。
蟻の一族は力がないが、夏の間にパンを備える。
岩狸の一族は兄弟ではないが、その住みかを岸壁に構えている。
いなごには王はいないが、タイを組んでいっせいに出動する。
ヤモリは手で捕まえられるが、王の宮殿に住んでいる。」
神様は、蟻・岩狸・いなご・ヤモリを「知恵者中の知恵者だ」とおっしゃっています。
人間よりもずっと劣る生き物たちを知恵者と呼び、それらの生き物から学ぶようにと言われています。
小さな昆虫や小動物にも劣ってしまうようにしか生きていない人間を愚か者よ!
叱ってくださっているんですね。
信仰の友がヒントを教えてくれました。
① ローマ8:21
「つまり、被造物も、いつか滅びの隷属から解放されて、
神の子たちの栄光に輝く自 由にあずかれるからです。」
② 詩編36:7
「恵みの御業は神の山々のよう。あなたの裁きは大いなる深淵。
主よ、あなたは人をも獣をも救われる」
③神様が作られた命で天国に行けないのは、
サタンの仲間達と罪を犯し続けている人間だけじゃあないでしょうか?
天国は動物の大楽園でもあると思います。
私は、歴代の特に3代目・4代目・5代目の犬たちからは、
彼女たちの思いやりの深さ、その精神性の高さに何度も驚きました。
例を上げますと、ノアクロウが12歳、おじゃるが3カ月くらい時のこと。
二匹の朝食をもって庭に出た所、私はつまずいて倒れたのです。
ノアクロウは、こぼれた餌には見向きもしないで、私のそばに走ってきました。
「おかあさん、大丈夫?痛くない?血は出ていない?」
しゃべれませんけれども、ノアクロウが私を心配してくれているのは明らかでした。
私はよろよろと立ち上がって、
「ノアちゃんごめんね。ごはんは作り直してくるからね。待っててよ」
と言いながら、おじゃるの方を見ると、
こぼれ散って地べたに落ちたご飯を食べているのです。
野良犬だった習性があらわでした。
私は、12年間飼われてきた犬の精神性の高さに驚いたのです。
お腹もすいていただろうに、空腹よりも飼い主のことを案じてくれることに感動したのです。
「ノアちゃんありがとう。お母さんは大丈夫よ。ほら、見てみて、おじゃるががつがつ食べてるよ。子どもだから仕方ないね。土が混じっていても気にしないんだね。野良の子はたくましいね」
さて、おじゃるの里親、養母であるノアクロウは、
その後で、きちんと言い聞かしんじゃないかって思うんですよ。
「おじゃるちゃん、こういう時には、飛び散ったご飯に飛びつくのは、いけないよ。まずは、お母さんがけがをしていないか、ちゃんと立ち上がれるか、それを確認しなくちゃいけない。起き上がれなかったら、大きな声でお父さんを呼ぶんだ。吠えていいのはこう言う時だけなんだよ」
(ノアクロウは無駄吠えをしないように主人にしつけられました)
ですから、ノアクロウはおじゃるに
「住宅地に住んでいるんだから、ご近所迷惑はご法度なんだよ」
そして、
「地面に落ちたご飯に飛びつくのはお行儀が悪い。お母さんがけがをしていないかどうかを心配するのが一番大事なんだよ」
こう言う事を教え込むのが今日の課題だ、と思っているに違いない
と、私は推察したのでした。
その後、おじゃるの食いしん坊は治りませんでしたが、ご主人さまたちを気遣う心と、無駄吠えをしない、この二つは、ノアクロウからしつけられたように思います。
マラナ・タ
ローマ8:21「つまり、被造物も、いつか滅びの隷属から解放されて、神の子たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」
詩編36:7「恵みの御業は神の山々のよう。あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる」
この二つの聖句から、
動物も神の被造物であるから救いの対象であることが確認できます。
イザヤ11:6-10とイザヤ65:24にからは、
天国は動物の大楽園だとわかります。