ごきげんよう!さわこです
ツタバウンラン 私の好きな野の花のひとつ。
「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなた方から逃げて
行きます。」ヤコブ書4:7
今朝の聖句日めくりです。
読みながら思いを巡らしていると、創世記3:15の「敵意」につながりました。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、私は敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」
悪魔に対する「敵意」こそが、神様への服従と、悪魔への反抗心を産むのだと思いました。
神様の悪魔への敵意は、人類救済に向かわれる。何という神様の愛!
人間の側の悪魔への敵意は、神様による支配を求める思いに繋がって、神様への服従心を強くするように導かれる。
なんという神様の方法!
この二つの聖句は響き合い補完し合い、「大争闘聖書史観」がここにも見えてくると思いました。
八重咲のどくだみ
さらに、ここで、創世記4章7節のカインを思いました。
「もし、お前が正しくないのなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」
神様は、カインの心にサタンが忍び寄ってサタンの支配下にカインが置かれてしまっていることがお分かりになりました。
そこで、神様はカインに諭すのです。
「サタンに支配されちゃだめだ。お前は、サタンを支配しなくてはならぬ。」と。
にもかかわらずカインはサタンに従った。
弟アベルの殺害に及んだ。
サタンに敵意を向けることをしなかった。
そして、11節「お前は呪われる」と神様はカインに言われたのです。
つまり、サタンに支配される者は、呪われるということです。
サタンに反抗しない者【つまりサタンに敵意を持たない者】は、神に服従しない者となる。
呪われた者となる。
そういう人のために、そういう人の受ける呪いを、イエス様は変わって受けてくださった。
それが十字架です。
それが創世記3:15に記されている十字架の預言であり「原福音」です。
また、民数記21:23下句「木にかけられた死体は神にのろわれたものだからである」
この解説が、実に明瞭に、新約聖書に書かれています。
ガラテヤ3:13「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木に掛けられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」
木にかけられた=十字架刑です。
神の呪いの象徴であり、同時に、神の救済の象徴です。
つまり、神の呪いを受ける人ほど、神の救済を必要としているのです。
(文末の補記を読んでね)
神さまが差し出してくださった救いを受け取るならば、呪いが救済に変わる。
拒むなら、呪いは呪いのままとなります。
神様は人間の自由意志を尊重なさいます。
神様の愛は強制なさいません。
神さまの側に立とうと願う決意は、神様に服従したいという意志を強固にしてくれます。
この「敵意」が私たちの「救済」につながるために重要なのだと思いました。
敵意とは、神がサタンに置いた敵意。
「のろい」とも言える敵意を置いたからこそ、自由意志を働かすことができる。
マラナ・タ
祈りました。
私が常にサタンに敵意を置き、神に忠誠を置くことができますように。
補記:一般的日本人ならほとんどの人が知っている
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」
みごとに、逆説的表現ですね。
浄土真宗には、聖書の教えが色濃く在ると言われている理由の一つです。
私の母の実家は、浄土真宗です。