ごきげんよう!さわこです。
 
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今日の光   2022.4.29より
 
聖書に記されている聖所には、宇宙で最も高い概念を理解するための具体的なモデルがあります。
 
①キリストの十字架はどのように私たちを救うのか。
 
②何故、キリストの受肉が必要なのか。
 
③私たちに対する神の愛は、どれほど深いのか。
 
④神はどのようにして最終的に人類を裁き、神の道徳的法則を損なうことなく、私たちの罪深さの問題を解決されるのか。
 
⑤第二の反逆を招くことなく、罪人が神の王国に招き入れられることが可能なのか。
 
 
エデンの園の門で示された聖所のモデルは、神の計画を物理的な素材を用いて作られて、私たちに理解を与えるために配置されたものでした。
 
日々、私たちは、聖書に書かれている天の聖所を通して、救いの計画を学び続けます。
 
私たちは、それを一生かけて学ぶのです。
私たちの今日の聖書の学びは、天国での最初の授業の備えです。
 
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ユダヤの祭りに焦点をあてながら聖書通読を繰り返しているうちに、私は聖所へと導かれて行きました。
 
「死んだら天国に行けるからクリスチャンになった」
「天国に行けるから、お葬式はキリスト教会でしたい」
そういう言葉を語る人々がいます。
 
しかし、私は、バプテスマ後も
「クリスチャンになっていたら死んだら行けると言う天国」
「家族と共に、天国に行くためにバプテスマを受けたい」
こういう「天国」に関心が持てないでいたのです。
 
この世で生きることがしんどいから、
私の心に「天国」が来ることを求めていただけなのです。

 

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「天国」が感傷的な希望ではなく、
御言葉を土台とした実体であると
受け止めることができるようになったのは
「聖所」でした。
 
①から⑤の問いには、「感傷的な信仰」では、答えが出てきません。
信仰の土台は「御言葉」であって、感傷的な情緒的な感情を土台とはしません。
 
①から⑤の問いには、
「聖所」の御言葉によって、徐々にわかってきます。
 
マラナ・タ
私たちが一生かけて学ぶ日々の聖書の学びは、天国での最初の授業の備えです。