ごきげんよう!さわこです。

 

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ある信仰者の言葉です。

 

「通りよき管として用いて下さい」

との祈りが聞かれたのだと思いました。

でも本当は、神様に用いていただく為に、

私の思いが聖別される必要があったのだと思います。

 

「通りよき管として用いて下さい」

この祈りは、十年来の私の祈りでもありました。

 

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2011年1月

乳がんの手術をしました。

麻酔から覚めた時、「讃美歌」が聞こえてきました。

手術室にはBGMは流れていません。

 

私の手術を神様が天使を遣わして見守っていてくださったのだわかりました。

 

♬もちいたまえ わが主よ

もちいたまえ われをも

みめぐみをとりつぐに

通り良き 管として♬

 

「主の愛の汝がうちに」の繰り返しの部分です。

この日、この時から、

「通りよき管として用いて下さい」が私の祈りとなりました。

 

私は、乳がんだと分かった時、

ある種のハイ状態になりました。

 

不安も、恐怖もなく、死にたくないとも思わない。

 

「ああ、神様、ご再臨までの私の地上人生をこの病気で終わらせてくださるんですか。ありがとうございます」

と祈りました。

 

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しかし、高価なジューサーを購入して、

ニンジン・リンゴ・レモンでのフレッシュジュースを食事としました。

 

もともと、菜食中心の食生活でしたから、

それをもっと、きちんとすること。

課題と言えばそれくらい。

 

人生の重荷が重すぎて、

イエス様におゆだねしても、なお、重くて。

 

その重荷から「死」に解放してくださるのかもしれないと思うと、一瞬、ほっとしたのでもありました。

 

しかし、死なせてもらえなかった。

悪質の、進行性のがんでもなかった。

500円玉くらいの部分摘出で済みました。

 

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微小がんが残っていますから、

再手術して、リンパも取ってしまいましょうか?

抗がん治療にも取り組みましょうか?

 

ドクターの言葉に、せっかくですけれども、とお断りしました。

放射線治療だけは、上手に断れなくて、2週間ほど通いました。

 

ホルモン剤を何年飲んだかしら?

5年かな?

その後は、年に一度の検診。

 

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それからは、世の中のコロナ禍で、

予約日に行くことができず・・・

今に至ってしまいました。

予約し直せばよかったのですが、していません。

 

ある信仰者の言葉です。

「通りよき管として用いて下さい」

との祈りが聞かれたのだと思いました。

でも本当は、神様に用いていただく為に、

私の思いが聖別される必要があったのだと思います。

 

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ある信仰者のことば、この赤字のところ。

今までわかっていなかった。

気づいていなかった。

術後12年目の私の必要な祈りが分かりました。

 

 

神さま、私の思いは聖別される必要があります。

自分ではできません。

私がアドベンチストクリスチャンになったとき、

神さまのものとしていただきました。

それが「聖別されたこと」だと、そこで止まっていたのです。

 

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マラナ・タ

「父なる神に、聖霊の導きによって、イエスの御名で祈る。」

それが、聖別された者の祈りであると単純に思っていました。

祈るべき祈りを祈ることなく、

「わたしを用いてください」という「お願いの祈り」をしていました。

新たな悔い改めの祈りを頂いたのでした。