ごきげんよう!さわこです。

 

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今日の光2022.4.22より

 

エゼキエル1:26

「生き物の頭上にある大空の上に、サファイヤのように見える王座の形をしたものがあり、王座のような者の上には高く人間のように見える姿をしたものがあった」

 

これは、エゼキエルがバビロンの捕虜となっていたとき、つまり、イスラエルが最も低迷していた時期に見た光景です。

 

神の民には大きな落胆があり、多くの人が「神は永遠に自分たちを見捨てられたのではないか」と思っていました。

 

エゼキエルが目にしたのは、ネブカデネザルの軍勢がエルサレムの町を急襲したことを表わす、北から迫るが激しい旋風のような混乱した光景でした。

 

それは理解しがたい光景でしたが、目を凝らすと、聖所と神の臨在の象徴であるケルビムと雲から放たれる輝かしい栄光が見えてきました。

 

エゼキエルはすべての者の上に神の栄光を見ます。

 

これは、人生が最も困難な時であっても、神は依然として支配しておられ、天の聖所から、御自身の計画を実行しておられることを教えています。

 

神の御約束を信じて、困難な時には、なおのこと天の聖所を見上げて生きて行かなくてはなりません。

 

 

 

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聖書は、十字架で終わりにはなっていないのです。

イエス様は十字架の贖いをなさった後、天に昇られて、何をしていらっしゃるの?

 

「イエス様を信じた人は、

地上人生の死で終わりではなく、

すぐに天国に上げられてイエス様と一緒に

永遠に生きて行くのですよ。めでたしめでたし」

 

という事なのですが、

死後、すぐに、天に上げられるとは、

天国に行くとは、聖書には書かれていないのです。

勿論、星になるとも、風になるとも、書いてはありません。

 

実は、どうなんですか?と、気になっていました。

 

「天国に行ったらわかることなので、

いま、考えなくていいことなんですよ。

今は、イエス様を信じることだけでいいの。

イエス様に全部おゆだねしたらいいんですよ。

信じた者は、神を愛し、人を愛し、平和を愛して、

いつも喜んで、絶えず感謝と讃美を

お捧げするお祈りをしていたらいいのですよ。」

と言う方もいらっしゃいました。

 

しかし、

「その疑問は神様に持って行きなさい。

つまり、聖書研究をしなさい。

聖書は、あなたの疑問に答えてくれますよ」

と言う方もいらっしゃいました。

 

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それで、私は、聖書を調べることにしました。

 

幕屋・聖所・神殿、(全部、同じ)は、キーワードなんです。

イエス・キリストを表わしているんです。

そして、黙示録には、天上でイエス様がなさっていることが書かれています。

旧約聖書で書かれていることが、黙示録につながっています。

 

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私が天の聖所に深い関心を寄せるようになった理由は、

十字架で私たちの罪を贖われたイエス様が、

三日後に甦られ、昇天なさり、天の聖所で私たちのために

執り成しのお祈りを日々ささげておられること知ったからです。

 

イエス様の御名によって、祈る祈りは、天に昇って行って、

イエス様が受け留めてくださると言う確信が持てたことです。

空を打つような虚しい祈りではないと分かったからです。

 

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さらに、レビ記16章の年に一度の贖罪日の儀式が、

天の聖所から至聖所にお入りになることへの預言であり、

その日が1844年10月22日だと、

ダニエル書の研究から確かになったことも衝撃的なことでした。

 

再臨運動が、全世界で同時多発的に起きたのは、19世紀前半です。

ヨーロッパと北米において多くの人々が、

熱心な祈りと聖書研究によって

世の終わりが近いとの結論に達したのでした。

あらゆる教派の聖書学者たちが、

ダニエル書と黙示録の預言に注意を向けるようになりました。、

 

 

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マラナ・タ

私たちは、イエス様の十字架・復活・昇天

そして、それから、再臨までの間に存在しているのです。