ごきげんよう!さわこです

黒花蝋梅(クロバナロウバイ)

 

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古代イスラエルの人にとって、

幕屋の中庭にある

焼き尽くすささげ物の祭壇は、

キリストの十字架を

指し示す物でした。

 

蝋梅は透き通るような黄色しか知りませんでした。

早春に蝋梅を楽しんで、梅、桜、木瓜、それらが終わるころ、

この花が咲くんですね。

 

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聖所自体は、

天上の、より大きな現実を

表しておりました。

 

イエスが天上の聖所の外で、

つまり、地上で、犠牲になられたように、

犠牲の行為は外で行われました。

 

キリストの象徴である

犠牲の動物が中庭で屠られる前に、

 

悔い改めた罪人は、

手を動物の頭に置きました。

 

(原語では、罪人が動物に寄りかかったと書かれています)

 

ナニワイバラ、大好きです。

 

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イエスは、神の御座の前に立っておられるのです。

 

三位一体の神を代表しているだけでなく、

私たちの一人として

「最後のアダム」(1コリント15:45)

である人類の新しい頭(かしら)として、天の聖所に立っておられるのです。

 

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ですから、私たちは、

自信をもって

神との関係において前進できます。

 

私たちを代表する方は、

私たちをよくよく知っておられる方です。

 

私たちが、信じている神様は、

こういうお方なのです。

 

オオデマリが咲きました。

 

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救いの計画における私たちの役割は、

自分の罪を告白し、

神の憐みに全面的に身を任せ、

キリストにも完全に信頼して、

信仰によって行動することです。

 

シャクナゲ

しゃくなげいろに たそがれる 尾瀬にいつかは行きたいと・・・

憧れ続けて、半世紀。

 

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それは、つまり、

キリストの十字架が

問題を解決し、

キリストの血が

私たちを救ってくださると

信じることです。

 

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罪人の犠牲の行為は

幕屋の外の庭で行われます。

 

それが、罪人の果たす役割です。

 

それ以降は祭司の役割です。

犠牲の動物の血を祭司が

幕屋の中に運び、

神の御座にささげるのです。

 

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罪人は、幕屋に入るのではなく、

祭司に和解の行為を託すのです。

私たち罪人のすることは、

悔い改めの告白であります。

 

それから後は、大祭司としてのイエスが、

救いの問題を処理してくださる働きに

全面的に信頼することだけなのです。

 

(今日の光2022.4.16より)

 

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新約聖書におけるキリストの犠牲は、
旧約聖書において、その型が示されていました。
それを知った時、旧約聖書のすべてが、
私の内で、新しいものとして、
私の現実として、輝きました。
十字架、復活、聖霊降下、

再臨前審判(調査審判)が

一連の流れとして、

信じられるようにさせていただけました。

 

モッコウバラも好きな花

 

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マラナ・タ

今は、最大のあこがれは「ご再臨」になりました。

私たちの教会の名前は

「セブンスデー・アドベンチスト」

「第七日目の安息日を礼拝日として守り、キリストの再臨を待ち望む」

そういう意味が込められています。

教会名が、信仰告白であります。