ごきげんよう! さわこです
罪という重大な欠陥に気づかない人は、
偉大な医師に助けを求めることがありません。
神は、求めない人に
ご自身を強要されることもありません。
律法学者やファリサイ派の多くは、
バビロン追放の原因となった同じ罪に
国が陥らないようにと必死になるあまり、
逆に規則や儀式、規制にこだわるようになっていたのです。
しかしながら、それはなお、プライドと自己満足の罪でした。
ローマ人の異教をはっきりと否定していましたが、
純粋であろうとするあまり、皮肉にも
自分たちの本当の姿が見えなくなっていたのです。
イエスは落胆している人々を解放するために来られました。
イエスに近づくことは逆説的です。
近づけば近づくほど、自分が正しくないように見えてしまいます。
しかし、それは問題ではありません。
自分の壊れた部分を理解することが解決へ道です。
本当の問題とは何でしょうか。
光であるイエスから遠く離れた過ぎると、自分の本質が見えなくなってしまうということです。
(2022.3.20今日の光より)
マラナ・タ
自分の人生で、或いは歴史の中で
逆説(パラドックス)を、体験したり、目撃したことはないでしょうか?
そこにまで、視野を広げたり、思いを深く探る時、
イエスが、「いつくしみふかき友なるお方」であることが分かるのではないでしょうか。