ごきげんよう!さわこです。

 

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本日のめくりカレンダー申命記5:18「姦淫してはならない」

眺めながら、英文では、Be faithful in marriaje.  と、なるんだ。

日本語訳はおかしいんじゃないか?

と、考え始めたのです。

 

Faithfulとは、忠実・誠実。結婚関係において、最大の不忠実・不正実は姦淫であることに間違いはない。

だが、「姦淫してはならない」とは、あまりに短絡的な訳ではないのか。

勿論、姦淫の戒めは十戒第7条にあることは承知の上。

 

faith + fullでできている単語として考えたなら、信仰+満杯。

信仰がいっぱい溢れるようになったなら、おのずと神と人に対して忠実に誠実になるものだ。

勿論、夫婦間において「姦淫」なんてありえなくなるでしょ。と考えてしまう私。

 

Be faithfulとは、信仰で満たされよ、との勧めであって、不信仰であってはならないとの、禁止ではないじゃないのか。

 

英語の苦手な私にだって「姦淫してはならない」と意訳してしまうことを不自然に感じてしまう。

 

こんな読み方をすると「姦淫を罪と見ていないの?今の時代だものOKよ、とでも思っているわけ?」なんて誤解する人も出てくるんだろうか?

 

どうして、「相手に対して、誠実さと忠実さにおいていっぱいになりなさい」と読まないのだろうか?

 

このような本質をとらえていない訳に振り回されて、禁止事項をまっさきに持ってくることで、どれだけの数の人を退けてきたのだろうか?教会は。

 

ヘブライ語では、Be faithfulとは、どう書かれているんでしょうか?

ギリシャ語の50人訳では、どう訳されているんでしょうか?

 

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十戒の5条から以下は人間関係においての戒め。

第1条から第4条までは、神と人間の関係においての戒め。

 

第1条「わたし以外に、他の神があってはならない」を、ここの理解を第7条の理解の土台にすることは違いますよ。

人間社会の結婚において姦淫するなかれ」との意味ですよ。

あなたは、深読みのし過ぎですよ。

 

って、注意されるんでしょうかしら。

 

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日に日に、花桃の花が開いて行きます。

いっぱいになったら、後は、散って行き、今年の花桃は終わりを告げる。

世の終わりの現象は、日ごとにその特徴を表わす出来事が、聖書の預言通りに起きている。

 

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マラナ・タ

(主イエスよ、来たりませ)

その日が近づくと、この世の中は、いわゆる平和ではない出来事が多くなる。

その中にあって、主イエスを我が救い主キリストと信じぬく信仰を強めてきよめて、その時に備えさせたまえ、と祈る。

時が良くても悪くても。

ますます、時が悪くなっていく一方でも、

主イエス・キリストを信じる信仰を増させたまえ、と祈れることが幸いです。

 

 

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追記 その1

この聖句、どうやら、深読みし過ぎたようでした。

姦淫を、本当の神様以外を礼拝する人々への忠告というふうにしか読んでいなかったんですね。

十戒の第一条の延長線で読んでしまっていました。

でも、ここは、人を殺してはいけない。人のものを盗んではいけない。その延長線上にある「姦淫」であると、読むべきところでした。

神様と人間の関係を「結婚」にみなしているところから、深読みしてしまいました。

姦淫をに対して罪責感を持つことのない厚顔無恥の人間に対しての忠告だったんですね。

 

日めくりの英語の文章がすばらしくて、その延長でのデボーションになってしまいました。

深読み癖のある自分に自分で忠告してしまいました。

 

でも、英語の文章は何て素晴らしいのでしょう!

すべての律法が「神様を第一にする」の原則にありますね!

 

追記 その2

英語聖書に詳しい方が教えてくださいました。

以下

 

これは、Contemporary English Version です。

(これは現代英語版です)

 

一般的には、You shall not commit adultery. ですよね。 

(一般的には、不倫してはいけないですよね)