ごきげんよう!さわこです。
この世で起こることは、
すべて、神様の不意を突いて
起こったわけではない。
どうしてこんなことが起きてしまったのだろう?
それでも、神を信頼しているものは、
すべてが神の御手の中にあることを
確信しているのです。
神が御計画なさったのではないのに、
神の善い御意思に反して起こっていることであるかもしれないのに、
それでも、私は、神の御手の中で生かされているのです。
神に答えを要求すべきことではないと分かりながら
「なぜ?」と問うてしまうことが「不信仰」でしょうか?
しかし、しつこく問いつづけることをも「祈り」として受け入れてくださり、
その葛藤の中で何度も神に出会って行くと言う祝福をくださる。
神に触れて頂ける。神の御臨在を体験していく。
そこに、神の実在の意味を見いだす信仰者がいるのです。
解決も展望も、見通しのないままに、
それでもなお、最終的な希望を
捨てることのない信仰をくださる主よ。
聖書の神はキリストという
インマニエルなる神を実在をもって
示してくださっていることの
意味深さに慰めを得ているのです。
マラナ・タ
雄々しくあれ、心を強くせよ
主を待ち望む人はすべて。
詩編31:25