ごきげんよう!さわこです。
私には茶道のエア師匠がいます。
時間の調整や事情が重なって、やめてしまったお茶の稽古。
ネット時代のおかげで、ひょんなことから知り合った茶道家の女性と親しくなりました。
パソコン・スマホを通して、茶の湯のお稽古見学ができるようになりました。
ホカホカの禅語の情報をゲットしました。
あまりにうれしかったので、ここで紹介します。
床の間のお軸は、「春入千林処処鶯」
3代目家元・元伯宗旦78才の時(今から367年前)に書かれた書。
この「禅語」のそもそもの出典は、
春入千林処処花 秋沈万水家々の月
読み下しますと
春は 千林に入る しょしょの花
秋は 万水に沈む かかの月
春になると全てのところに花は咲き乱れ、
また秋になると、水はみな清く澄んで月を写し、全ての家々に月が写るという意味です。
花を鶯に読み替えた意図は,
目で見た花よりも、鶯の声を感じとった事によって、
心の奥まで、生き生きとした春が届く。
元伯宗旦は
「茶の湯とは、耳に伝え、眼に伝え、心に伝えて、一筆もなし」とも言っていらっしゃる。
本を読むだけではなく、体験して初めて分かるお茶の心がそこにあると。
春入千林処処花
花を見て、そこにウグイスの声がなくても、その声を聞く想像力、感受性。
聴くことへの深い天来の叡智に触れることが出来ました。
人はあらゆる感覚を徐々に失って、最後まで残るのは聴覚だと読んだことあります。
臨終の人に語りかけた声は、必ず、届いている・・・
さらに聖書の言葉にもつながりました。
新約聖書 ローマ人への手紙 10:17
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての御言葉によるのです」(新改訳)
新約聖書 ヨハネ黙示録 1:3
「この預言の言葉(聖書)を朗読する者と、それを聞いてそこに書かれていることを心に留める人は幸いである。時が近づいているからである」
私は、禅語を介して、
茶の湯の世界の体験を介して、
聖書の言葉(御教え)に繋がります。
朝の祈りの時が神様の心に満たされました。
師匠、ありがとうございました。
マラナ・タ
久しぶりに「着物・お茶」のテーマで投稿しました。
元旦から、ほぼ、毎日着物生活に復帰しました。