ごきげんよう!さわこです。
今日の光 2022.1.27より
罪というものは、
その中に身を置けば置くほど
罪の意識が薄れていくものです。
私たちが罪人として生まれたという事実は
私たちの道徳的尺度が
最初から損なわれていることを意味します。
私たちは本来、自己中心で、利己的であり、
自分がどれほど罪深いかを、
自分自身で測ることがほとんど不可能です。
罪人である私たちは、
道徳的な客観性を持ち合わせていません。
自分の欲求や欲望を基準にしているので、
自分が神の栄光にどれだけ及ばないかがわからないのです。
そこで、神の霊が介入されるのです。
聖霊は、罪を自覚させてくださいます。
神の基準と比較するように導いてくださいます。
私たちは自分の力だけでは迷ってしまうのです。
聖霊のうちに住めば住むほど、
聖霊の声に注意を払えるようになり、
はっきりと聴き分けることができるようになります。
今日の光 2022.1.28
罪が介入することによって、
人間の心は歪み、
神様と適切な会話をする能力が、
非常に限られてしまいました。
神の御心に対する私たちの理解は、
浅く危ういものです。
神の御心に沿って祈っているつもりでも、
神さま御心がどのようとのあるのか、
かすかな知識しか持っていないのです。
また、自分の本当の必要が何であるのかさえも、
聖霊が明らかにしてくださるまではわからないのです。
聖霊は私たちの罪深い心をイエスに向けてくださいます。
私たちの祈りを、神さま御心と一致するように変えてくださるのです。
私たちが何を祈ればよいのかわからないとき、
聖霊が私たちの祈りを完成させてくださいます。
私たちの必要を、人間の言葉で言い表せないとき、
霊は理解してくださり、
「言葉に表せないうめきをもって」
私たちのために執り成してくださいます。
(ローマ書8章26節)
万物の創造主だけを知っていても、
真実の神の全容は理解できません。
私がそうでした。
三位一体の神として、
各位格の神(父・御子・御霊)の神によらなくては、
神様の本質も神様の愛も
私には、分かりませんでした。
マラナ・タ
だから、聖書が必要なのです。
御霊の導きによって、聖書を読まなくてはならないのです。