神がイスラエルにカナンの地を与えられた意味は、彼らを神の元に連れ帰り、
神との親密な関係を体験し、神の真実な御品性を知るためだったんですね。
そして、真の神が誰であるか、どういうお方であるかを、
世に証しするためだったんですね。
カナンの地は、物資的な乳と蜜の豊かな地でありましたが、真実の神を知らない民が住み、そのために異教の悪い風習と低俗な宗教を信じる土地でありました。
だから、神様はイスラエルを保護するために、十戒を与えて、偶像を一掃するように告げたのですね。
偶像とは、真実の神以外のすべてです。
時代時代において、偶像はさまざまな形で、私たちを惑わします。
光の天使を装うと聖書にあるように。
(コリント第211;14)
神の霊によらなければ、識別が難しい偶像が、たくさんあります。
善意と愛を装うことなんて朝飯前。
カナンの地の誘惑に満ちた実情を知るにつけ、なんでここが約束の地なのだ?と思いました。
出エジプトしてカナンに入植して以来、カナンの地パレスチナは、今に至るまで、土地の奪い合いの戦争が続いています。
そういう土地だからこそ、真実の神を知る必要ある悲惨な人々がたくさんいたからなんだと思いました。
苦労するのは当たり前、誘惑に遭うのも当たり前。
真実の信仰を持って、
神が為してくださる約束を信じて、
神のみ信じて、
創造と贖いの神は、いかなるお方を宣教して行くとは、
サタンが王となった世界では、当たり前なんですね。
大争闘なんですね。
川の流れに逆らって上流(天国)を目指すのは、
誘惑・苦難はつきものなんだ。
だからインマニエルなる神ご自身が降って来られたんですね。
神は、イスラエルの民が安息の地に入るということは、
その土地の占領という物資的な表面的な事だけではないんです。
神さまとの真実の回復、立ち帰りなんですね。
それをせずして、国土の領地の取り合いをしているのがパレスチナ周辺の実情なんですね。
聖書の神様からの約束の地という大義名分で。
マラナ・タ
真の約束の地は、天にあるんです。
それを教えるための「型」がカナン征服だったんですね。
偶像を滅ぼし尽くせ、ということなんですね。
真実の神から離れて、偶像に象徴される自己愛に立った偶像礼拝から真実の神に立ち帰れと。