ごきげんよう!さわこです。
昨日の十六夜の月です。
東の空に。
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私たちの教会(セブンスデーアドベンチストキリスト教会)の毎日学んでいる安息日学校聖書研究ガイドです。
ほんとにこのガイドは、お役立ち、すぐれもの。
この同じガイドを世界中のアドベンチストが学んでいるんです。
この連帯感。 感動しています。わたし。
 
自分の体験、知識、感覚で聖書を読んでいると、誤読あり、我田引水したり、いやはや、人間より聖書を知っているサタンに騙されてしまう可能性があります。
聖霊様の導きを求めて、世界の日本の牧師先生方の信仰によって私たちの手元に届くガイド。
聖書の本質を知る力を育てて頂けることに感謝です。
 
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2020.1期4課 ガイド
昨日の教会祈祷会で牧師の指導のもとで学びました。
 
ヘブライ人への手紙
序章は
イエスの性質と働きとが書かれている説教である。
 
1章は
イエスは天使ではなく父なる神と全く等しいお方である。
イエスは天使ではないと、何故、わかり切ったことが書いてあるのか?
 
ヘブライ書は、ユダヤ人対象であり、信仰の第二世代に向けて紀元60-75年頃に書かれた。
(著者はパウロと言われているが定かではない。)
 
ユダヤ人たちの信仰が揺るいでユダヤ教に戻ろうとしている人々を励ますために書かれた。
ユダヤ教の背景がある人が対象である。それを前提として読まなくてはならない。
 
1章でのイエスは天使ではないとの記述に、
当たり前でしょと現代のクリスチャンたちは考えるが、
ユダヤ教のエッセマネ派はイエスを天使と考えていたために、
このことが間違いであると主張しているのである。
 
では、父なる神と同等の方であるイエスとは?
 
①神であり仲保者
 
②私たちの兄弟、しかも長兄。
 神である故に人間の長兄ではなし得ない模範性を持つ。
 
③イエスは血と肉を備えておられて、私たちと同じ人間としてお降りになったが、しみも汚れもない。
 
④イエスは第二のアダム、最後のアダムと書いてある理由とは、
 
神ご自身がアダムのように被造物の人間として来られて、人間アダムの失敗により罪の入った人間を救うために、被造物の人間ではな    いのにも関わらず人として来られたという意味で、第二のアダムとヘブライ書の筆者は表現した。ここに主のへりくだりがある。
 
(ローマ書8:29ー30の
「神は前もって知っておられた」「神はあらかじめ定められた」について補足。
これは、神の予知であり、神の予定ではない。
予定説はカルヴァン派の神学である。誰を救うかは神が予め定めてある。
 
イエスは苦しみを通して「完全なものとされた」(ヘブライ2:10)
 
もともと完全なお方であるのに、どういう意味か?
ヘブライ5:9では口語訳では「全うされた」となっている。
イエスは救いに至るまで門を開かれたという意味での全うされたである。
 
完全ととらえることから、
私たちもイエスを信じイエスに倣う者として
神への服従を徹底して従う通すことで、
私たちもイエスのように完全となれる、
このような説を唱える信者もいる。
     (へえ~、とびっくりするわたし)
 
2章の結論
イエスは私たちの救いのために、第二のアダムとして、
苦難な人間生活の只中にあっても
神の御旨を果たすために
苦難を耐えられて、人間の罪からの救いの道を整えられて
救いの門を開かれたのである。
そしてイエスは苦しみを経験されたので、
苦しむものを慰められるのである。
このように、主は
地上における救いの務めを「全うされた」のである。
 
ガイド4課の主旨
このイエスを思い出しなさい。
そのお方に目を向けなさい。
あなた方も忍耐しなさい。
そのお方に助け遠求め続けなさいと信徒を励ますのである。
 
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わたしの教会
2002年に建て変えました。
この年のころには、市内の戦後に建ったキリスト教会が建て変えられていました。
わたしの教会もシロアリに土台からやられていました。
見た目は手入れされていて、郷愁をそそる素朴な木造建築でしたけれど。
隙間風も入って、自動換気(笑)できていました。