ごきげんよう!さわこです
2022.1.15 の「今日の光」を読みながら証につながった今朝のデボーション。
 
昨日、下書きのままになっていました。
一日遅れで投稿します。
 
青字は「今日の光」の文章です。
 
黒字は私の思いです。
証になってしまいました。
 
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紀元2世紀、ケルススというローマの批評家は、神の受肉を理解できませんでした。
 
教育を受けたローマの一般市民たちも、1世紀のユダヤ人たちにとっても難しかったことでしょう。
 
旧約聖書に精通しているユダヤ人たちにとって、イエスが身を低くした神であるという主張は、あまりにも衝撃的だったからです。
 
使徒パウロは、旧約聖書のイザヤ書(イザヤ45:23.23他)を引用して、新約聖書のパウロの書簡に、イエスが受肉された唯一の真の神であることを、明確な言葉で訴えています。
 
 
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信仰の父と言われるアブラハムの神は、人間と一体化して神ご自身の栄光を捨ててまでも、神の被造物である私たち人間を救いに来られるお方なのです。
 
クリスチャンが信じるメシア(ヘブライ語)は、キリストは(ギリシャ語)、救世主(日本語)は、旧約聖書でアブラハムが信じた神と同じなのです。
 
また、人類の父祖がエデンの園を追放される直前に、創世記3:15で神が約束されたメシアを、ユダヤ人が今も待ち望んでいるお方と同じなのです。
 
20 世紀の昭和の戦後生まれの私が、欧米のキリスト教主義国家の世界的侵略国家群を、世界史教科書から目にして(学校教育ではそのようには教わらなかったにも関わらず、10代中期の劣等生一般女子の目にはそう写りました)以来、キリスト教を軽蔑していました。
 
その20年後に、聖書を通して、キリストが受肉され、人として地上に来られる三位一体の神であると、信じた事は奇蹟です。
 
その信心が30年以上、持続しますます強められて行くことも奇蹟です。
 
聖書を毎日読まず、安息日礼拝にあずかることがなかったら(4年半の長期教会欠席者時代を余儀なくされたにも関わらず)、私のキリスト信仰は今まで継続したでしょうか?
神にゆだねる信仰が継続したでしょうか?
 
「否」の一字に尽きます。私のケースは。
 
マラナ・タ
神様に助けを求めて聖書を読むなら、とんでもないことが起きる。
キリスト・イエスを信じさせられる。
神の愛で。