ごきげんよう! さわこです。
二年前の「今日の光 2019.12.25」より
イエスが来られたのは、
人間を神と結びつけるためであり、
悔い改める魂に神の力を分け与えるためであり、
人のたどる道をたどり、
その過程において
人の従うべき完全な模範を示し、
神性が人性と結びつくときに、
人がどのような者となることができるかを、
ご自分の品性において提示するためであった。
エレン・G・ホワイトの言葉です。
ほんとに的を得た聖書の要約だと思います。
[イエスさまは、どうして、この地球にこの地上に来られたの?]
と、子どものクラスで聞いてみよう。
四年生の男子二人なのですが、
いつも的を得た信仰の子供なりの言葉で返ってきます。
きっと、期待通りの答えが返ってくるわ。
信仰とは、イエスを知り、日々、イエスとの関係性を深めること。
イエスとの絆を強くすること。
その持続が、イエスさまが私の内にお住まいになってくださる。
信仰とは、創造主なるお方つまり神を知ること。
その神様が、イスラエルではヤハウェと。
キリスト教用語では、聖書全体の思想から「三位一体の神」と呼びました。
日本でも「三柱の神」と呼ばれている、と読んだこともある。
古事記と旧約聖書に類似点の研究をしている学者たちもいらっしゃる。
聖書の影、贖い主の影は、神道・仏教にも鮮明に見え隠れしています。
「影」なんです。
「イエス・キリストの神」に関しては、完全に「影」。
生まれながらの日本人で「日本教信者」であった私。
(古代からの神道と仏教の合わさった空気の中で、自然体で神様の存在を信じて育ってきた私)
だから、こそ、
聖書の学びが深まるにつれて「影」はイエス様だと分かった。
新約聖書をよく読んでから、旧約聖書を読むと、
こんなところにイエス様が!と、驚きの連続。
旧約聖書は、イエス様探しの探検です。
新約聖書は、その地図になります。
また、旧約聖書をよく知ってから、
新約聖書を読むと、旧約の引用の多さに驚きます。
新約聖書は、
旧約聖書でできていたんだ!
使徒たちの書簡は、
イエスさまのお言葉と
旧約聖書の神学的解説を、
各教会の状態に(霊性)の必要にも合わせて、
書いてある書簡集だとわかります。
私は、20年間、ユダヤの祭りに焦点を当て聖書通読を毎日、繰り返して来ました。
そのおかげで、このようなことが見えて来たのです。
それは、個人的発見ではなく、
既にあらゆる神学者や信仰者によって語られているのですが、
大事なことは、自ら実践して、
本当にその通りであると確認する事。自分の目で!
実感し感動することなんです。
○○がこう言っていた。
○○にこう書いてあった。
そこで止まるのではなくて。
自分でも確かめる。
今年になって20 年来やって来た通読方法に休止符を打ちました。
次の段階での、聖書の深め方、神様との交わり方に移る事になりました。
自然な流れでした。
20 年来とのイエス様とのお付き合いの仕方のバージョンが変わったのです。
デートコースは、変わりましたが、デート相手はイエス様のままです。
先日、三年ぶりに美容院に行って髪を切って来ました。
サザエさんの母、磯野フネさん的ヘアスタイルが変わりました。
美容師さんに、「あら、癖毛ですネ。」
本人も、「そうだったんですね。」
ゆるいパーマをかけたみたいな状態でした。
「わーい、安上がりだ」
経済的な頭でした。
安息日に教会で、若いママさんに、冗談言われました。
「さわこさん、失恋したの❓」 笑
「失恋なんてしませんよ!」 笑
「私の恋人は永遠のイエス様よ!」
若いママさんは、即座に、「アーメン!」
そうなんです。
キリスト者は、配偶者がいても、みんな、イエス様が永遠の恋人なんです。
讃美歌
「キリストには代えられません」
あの歌詞そのまんまです。
どの讃美歌も、イエス様との関係性が歌詞になっています。
マラナ・タ
イエス様によって、父なる神様の本質がわかります。
それがキリスト信仰。
その信仰に導く助け主が、聖霊様。