ごきげんよう!さわこです

 

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2018年12月26日の「今日の光」

表題は「神の息子・娘たち」

このことを振り返るきっかけがありました。

 

死には、第一の死と第二の死がある。

アダムの罪のために、死は全人類に及んだ。

みんな墓に下って行くが、救いの計画が設けられたことによって、すべての者が、墓からよみがえらされるのである。

その時、復活にあずかる者と、第二の死である「罪の刑罰、罪の支払う報酬」永遠の滅びに至る者とに分かれるのである。

 

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人の死には、第一の死と第二の死と、2種類あるということを、

聖書を知ってからしばらくたつまで私は分かっていませんでした。

 

これって、すごく重要なことなんです。

バプテスマを受ける準備中には知っておくべきことじゃないでしょうか?

私が知らなかっただけなんでしょうかしら?

 

と、恥を承知で、打ち明けたんです。

すると、信仰の友は、

 

第一の死、第二の死という表現を使わない事もあるよね。

永遠の命を得る為に復活するのか?

滅びにいたるために復活するのか?

これは大切ですよ。

 

だから、永遠に滅びてしまうことを第二の死というのかな。

 

教会(SDA教会ではない)によっては、
キリスト信者は、死後、すぐに天国に行く?。
それを復活と呼ぶ?。
 
聖書には死は眠りであるとあるのに?
では、死は眠りではない?
 
そもそも死後に天国に直行するとキリスト教会で教えられていていると、
じゃあ、肉体の復活はどうなるの?
 
こうした????4つのクエッションマークにこだわって、
SDAは死は眠りであると、懸命に説明しないではいられなくなるのね。
キリスト教のそうした教えに矛盾を感じてセブンスデーアドベンチスト教会に導かれたのす。
だから、教会もバプテスマの前にはこだわって教える箇所だと思いこんでおりました。
でも、サワコさんは、バプテスマの時点で、わかってなかたのですね?
 
はい、そうなんですよ。
私が、死には二種類あるという事を理解できたのは、ヨハネ黙示録にあることはっきりと気づくまでに年月がかかりました。
黙示録は何度か読んでいたのですよ。
でも、黙示録は、難しくてよくわからないという先入観が、邪魔をしていたのだと思います。
第二の死について、初めに聞いてすぐに理解できて居た人は、私と違って素直で謙遜な心の持ち主なんだと思います。
 
と、以上のような会話をしたのです。
 
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第二の死は黙示録の中に何度もでてきます。
聖句で、検証しましょう。
 
黙示録2:11
 「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
勝利を得る者は決して第二の死によって損なわれることはない。」
 
第一の死は、生きて再臨を迎えることの出来なかった人類すべてが体験するものです。
その人たちは、キリストの再臨の時に、墓から甦って、キリストと共に天にあげられて行きます。
それから、千年期が始まります。
キリストの祭司として、神と共に、天国で千年間、過ごすのです。
 
生きて天にあげられなかった地上に残る人たちは、その時に第一の死を体験します。
そして、千年期の間は地上でサタンは、誘惑する人類がいなくなっているために、閉じ込められたと同じ状態で過ごすのです。
 
千年期を「福千年期」と、解釈する神学もあるようですが、私は聖書からはそのように千年期を読みとることはできませんでした。
聖句から検証できます。
 
黙示録20:1-3・・・ここに地上の千年期が書かれています。
「わたしはまた、一人の天使が、底なし沼の淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。
この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした
その後で、龍はしばらくの間、解放されるはずである。」
 
20章の4-6節・・・・天上の千年期の様子が書かれています。
「わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。
わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。
この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。
彼らは生き返って、キリストと共に千年の間、統治した。(生きて再臨を迎えた者は一度も死なない。)
その他の死者は、千年経つまで生き返らなかった。
これが第一の復活である。(死んでいて再臨を迎えた者は復活にあずかる)
第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なるものである。
この者たちに対して、第二の死は何の力もない
彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。」
 
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黙示録 20:14-15
「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。
これが第二の死である。
いのちの書に名の記されていないものは皆、この火の池に投げ込まれた。」 
 
黙示録 21:8
「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
 
 
 
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マラナ・タ
 第二の死は、キリストを知る機会がありながら拒み、してはならないと神が教える悪事をなして行くうちに心が頑固になって、敢えてキリストを拒んむようになった人たちのためにあるんです。
キリストを信じる者が恐れることではありません。