ごきげんよう!さわこです
 
image
 
毎日学ぶ、聖書研究ガイド
このテキストは、世界中のアドベンチストたちが使っています。
2022年度の1期(1月~3月)
昨日の安息日の午後から、このテキストに入ります。
申命記の学びがまだ名残惜しく思っています。
 
ヘブライ書は、「聖所」を取り扱っています。
私は、「聖所」にはとりわけ熱い思いがあります。
 
今朝の月、6時前。
輝いています。
月齢 21.8
明日は下弦の月。
 
image
 
夜明け前
日の出は遅く、日の入りは早くなりました。
 
image
 
安息日ガイド2022.(1-3月)
4ページより抜粋
 
ヘブライ人の手紙は
現存する最も古い「完全な形のキリスト教の説教」
であると考えられています。
 
 
ヘブライ書の説教は、
今を生きる私たちに、イエスにある信仰を守り、
今は天の聖所におられるイエスを見つめ続けるように訴えかけています。
 
今日は、風の強い、よく晴れた一日。
北の国では、大雪注意報。
私の地では、洗濯日和ではありますが。
 
image
 
ヘブライ人の手紙は、
イエスを受け入れた後に、
困難の中にあった信者たちに向けて書かれました。
 
ある者たちは公の場で嘲笑され、迫害され、
またある者たちは経済的な問題を抱えており、
多くの者たちは疲れ果て、信仰に疑問を抱き始めていました。
 
今日の私たちもそのような境遇にありはしないでしょうか。
 
私は、1人の青年を知っています。
その人は、大きな問題を抱えており、
疲れ果て、信仰に疑問を持ってしまいました。
 
イエスを信じたら、この背負いきれない問題がすぐに解決すると期待したのでした。
 
image
 
即座に解決したら、彼は良き証し人になったことでしょう・・・
なかには、そういう人もいらっしゃいます。
 
祈りの聞かれ方は、人それぞれで、同一ではない。
 
困窮の極みに居る人が、
 
「イエスを信じてバプテスマにあずかったら、
あれよ、あれよ…という間に、万事が解決したんです!」
 
こういう証しもあります。
 
油注ぎの祈りをしてもらったら、
末期がんが消えたとか・・・
そういう証しだってあります。
 
イエス様の時代にも、
使徒たちの時代にも、
そういう事が起きました。
 
今も、個人レベルで起きている人もいる。
幸いな人々です。
こういう証しは、切羽詰まった人にとって希望となる。
 
しかし、同時に、突き落とされるような絶望感を引き起こす場合もある。
その青年は、後者となりました。
 
場合によっては、苦悩と絶望に引きずり込みかねない、
個人的人生の問題解決ハッピーエンドの証しの大安売りは・・・
恐さを感じます。
 
image

 
しかし、私は、面と向かってこう言った人を知っています。
 
「あなたも、問題があって、キリスト教会に行くようになったの?
それで洗礼を受けたの?」
 
「はい」
 
「そうなの。問題が解決するといいわね。
私は解決したの。だから、教会は必要なくなったのよ」
 
と笑顔でおっしゃった・・・
 
image
 
問題が解決しなくても、キリストに出会うなら、ご利益宗教となる。
そのご利益は、本物です。
 
地上人生のご利益のような、喜びと慰めと、励ましと平安を得たとしても、
それは、一時のこと、。草は枯れ、花は散る。
 
ペテロ第一の手紙1章24節
「人はみな、草のようで、
その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。」
25節
「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
 
image
 
主の言葉に結びつかない信仰は、虚しくなる日が来る。
必ず来る。
 
私は、一人の信徒の「問題は解決したから、教会は、不要となった」という笑顔にぞっとしました。
 
しかし、不要なのは「教会」であって「神」ではないのかもしれない。
教会という組織に価値を置かない(自称)キリスト信者もいるのですから。
 
そこまで踏み込んで質問するだけの度胸が、その時の私にはありませんでした。
その方は、数年後に、教会員であることを自分からお断りになりました。
 
イエス様との関係性が
構築されることのないままの
クリスチャン生活だったのかもしれません。
 
image
 
問題に苦しむ時、それは「労苦」となります。
私にとって、詩編のこの聖句は、目を聖所に注ぐことを教えてくれました。
 
詩篇73:16-17
私の目に労苦と映ることの意味を知りたいと思い計り、
ついに私は神の聖所を訪れ、行く末を見分けた。
 
その日から、私は「聖所」に関心を持つようになりました。
旧約聖書モーセ五書。
創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記
新約聖書のヘブライ人への手紙。
image
 
マラナ・タ
地上のご利益から、永遠のご利益に目を転じない限りは、キリスト・イエス様との本当に出会いはない。
 
image
 
十字架の血に、清めぬれば 
来よとの、御声を我は聴けり
主よ、我は、今ぞ 行く
十字架の血にて 清めたまえ