ごきげんよう!さわこです
 
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旧約聖書の有名な祈りの一つはダニエル書 9章です。
ダニエルはエレミヤの預言を読んで、
70年のイスラエルの荒廃の時がまもなく終わるのを知り(ダニエル9:2)真剣に祈り始めます。
 
ダニエルは、自分の罪を、民の罪を、告白するうちに、民に臨んだ災いの中に神の正しさを見るのです。
 
ダニエルの祈りは、申命記にすでに警告されていたこと、すなわち、神との契約の彼らの分を果たさないことの結果を、要約したものです。
 
申命記が記していたように、モーセの勧告に従わなかったために、約束の地から追い払われることになったのです。
 
ダニエルは申命記から、自分たちの上に起きた災いを理解できたので、それが神への不服従の結果であり、神からの警告に耳を貸さなかった結果であると分かったのです。
 
ですから、ダニエルは神様に「何故?」
と、尋ねませんでした。
 
ダニエルの祈りは、現実に目を向けながらも、なお、希望を語っています。
 
神に見捨てられてはいないことを、悲しみの現実の中に、回復の希望を、申命記の中に見出したからです。
 
   (安息日ガイド2021.12.9より)

ガイドを読みながら、思ったことも混ぜて書きましたが、さらなる感想を、以下に。
 
神が間違いなく正しいお方であることを聖書から知り確認できる時、神様への信頼関係が強くなります。
災いのうちに隠されている神の御心(意図・目的・計画)が、神の究極の愛である十字架に光が差すのです。
 
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マラナ・タ
紅葉を見るたびに、十字架の血潮による贖いを思います。