ごきげんよう!さわこです。

 

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悔い改めとは、

自分の罪を知り、罪を悲しみ、神に罪の赦しを求め、

最終的にその罪から離れることです。

私たちは罪深い存在ですから、悔い改め

私たちクリスチャン精神の核心とも言える思想です。
(安息日聖書研究ガイド65頁)
 
「与えられた自由意志を用いて命と祝福と幸いを選びなさい」
これが神様の真意、御心ですね。(安息日ガイド66頁)
 
「私たちには、罪を犯す自由があるのと同じように、
主を選ぶ自由、主の導きに従うことを選ぶ自由があるのです。
最終的に、選択は私たちのものであり、
日々、一瞬一瞬の選択を意味するのです」 (安息日ガイド66頁)
 

ああ、祈りによらなくてはなりません!

主におすがりしなくてはなりません。

私を主の支配下に置いてください。

主の懐に抱き守って頂かなくてはなりません!

私の確信を強めさせてください!

 

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悔い改めの本質は

罪によって引き離されていた私たちが、神のもとに立ち帰ることなのです。

(安息日ガイド67頁)
 

 

 

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申命記を通して鍵となるテーマは、

「主に従って祝福を受けよ。従わないなら、あなたはその結果に苦しむであろう」

とのメッセージです。

このテーマは新約聖書においてもう変わりません。

「思い違いをしてはいいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります」(ガラテヤ6:7-8)

 

人類の堕落以降、罪は、人間にとって息をすることのように簡単で自然なことになりました。そして

「わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない」申命記30:11

という神の警告と約束にもかかわらず、多くの人々は、神が彼らに警告された通りのことを行い、罪に堕ちたのです。

 

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しかし、なおも、その後でさえ、神は、彼らが

自由意志を用いて悔い改め、

神に立ち帰ることを選ぶなら

喜んで彼らを連れ戻そうと待っておられるのです。 (安息日ガイド68頁から)