ごきげんよう!さわこです。
 
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黙示録と新約聖書は思想が一致しています。
 
エレン・ホワイトは
「黙示録において聖書のすべての書が出会い、そして終わる」
と述べています。
 
黙示録は聖書交響曲のフィナーレのようなものです。
 
黙示録の中に、旧約聖書と新約聖書の全巻がまとめられているのです。
 
従って、聖書の他の書物を理解すればするほど、黙示録をよりいっそう理解するようになるのです。
 
一つ危険なことは、黙示録自体を別個に学ぶことです。
 
黙示録を根拠に人々は戦争を起こし、あらゆる種類の政治的目的を果たそうとしてきました。
 
黙示録は聖書全体を暗示している書であるという文脈の中で読まなければ、誤解しやすいのです。
 
神が望んでおられない方向へと黙示録を曲解してしまいやすいのです。
 
黙示録の重要なメッセージは、イエス・キリストの福音と矛盾するものではありません。
 
黙示録は象徴的な書であって象徴で満ちています。
これらの象徴を選ばれたのは、神なのです。
象徴が理解できなければ、メッセージは理解できません。
 
ですから黙示録の言葉を字義通りに受け止められるべきではありません。
 
(ジョン・ポーリン著「体験する黙示録」20-21ページ)
 
マラナ・タ
15年くらい前になるでしょうか。
「レフト・ビハインド」でいう本が出版され、映画化もされました。
世界的にブームになりました。
私も読みましたが、聖書とは違うと思いました。
 
追記
同じタイトルで、昨日投稿した記事を間違って削除してしまいました。
この記事をもとに、もっとたくさん書いたのですが。
この記事を削除したつもりが間違っていました。
何だか残念。