ごきげんよう!さわこです。

2016年の10月3日に書き上げたレポートです。

2014年から3年かけて考え続けてきた記録。

今年は2021年ですから、7年前ですね。

 

多分2016年10月のブログにも投稿していると思いますが。

以下、コピーしました。

 

「ラッパの祭り」と「ロシュ・ハシャナ」   2016年10月3日
今日はユダヤの新年。ユダヤ暦の第七の月の一日。角笛を吹き鳴らす日です。

私の用いている通読表は、「ユダヤの祭りを知ろう」ということでユダヤの祭りの日が書き込まれていますので、今日がロシュ・ハシャナとすぐにわかったのです。

一昨年2014年のロシュ・ハシャナの日に、「聖書に書かれている新年とユダヤ暦の新年が異なることに気づいて、時間をかけて調べました。

その時の資料を参考にしながら、ユダヤの新年と聖書の新年について、もう一度整理しようと思います。

 

2016年は10月3日がユダヤの新年ロシュ・ハシャナです。
ところが、聖書によれば、出エジプト記12章の1,2節には「過越しの年を記念して新年とせよ」と命じられて、過越しの年が第一の月と決まりました。
それなのに、何故、第7の月が新年とされてユダヤ暦において祝われていのでしょう?ちなみに第一の月とは太陽暦では3月から4月、第七の月とは太陽暦では9月から10月にあたります。

つまり新年が春から秋に変わったのです。
その答えを求めて私の思索の旅が始まりました。

まず、ユダヤ暦では、天地創造から始まって今年は何年になるでしょうか?

神がある日に「光あれ」と言われて天地を創造し始めて6日で完成し、7日目を天地創造の記念日とし安息日としてお休みになったと聖書に書かれている通りに、私は信じています。

その創造を神様がスタートさせた「ある日」とはいつでしょうか?

ユダヤ教のラビたちは聖書の記述から割り出して

天地創造は西暦の紀元前3761年10月7日と定められたそうです。
ですから今年、2016年10月3日は、ユダヤ暦では5777年の元旦となるわけです。
日本では戦前には神武紀元(皇紀)を用いていましたが、神話に基づいていて、科学的でないという非難がありました。
ところが、ユダヤ人は堂々と聖書に基づいて天地創造のアダムの時代からの年号を、民族としてまたイスラエル国家として採用しているのです!

このようにユダヤ人が今も歴史と伝統を守っていることが、1年間の祝祭日の行事からもうかがうことができます。

私の用いている聖書通読表には、ユダヤの祭りが書かれていますから、通読を重ねるにつれて、ユダヤの祭りに対して興味をもつようになりました。

春の過越し祭(ペサハ)
夏の7週の祭り(シャブオット)、
秋の仮庵の祭り(スコット)の三大祭に加えて、

新年の祭り(ロシュ・ハシャナ)、正月から数えて10日目に当たる贖罪日(ヨム・キプール)にも祝祭日として関心がわいてきました。


第7の月の角笛を吹き鳴らす新月の祭りについて聖書を読んでいるうちに、この祭りはユダヤ暦の新年とぴったり重なることがわかりました。

ユダヤの暦は太陰太陽暦ですから、新月が見えた時、角笛を吹き鳴らして新しい月を知らせていました。新月は毎月あるわけですが、第7の月の新月は特に「安息の日」として守り、聖なる集会とするように命じられていました。

このことは、レビ記、民数記に記るされていますので、確認してみましょう。

レビ記23章23-25節
主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げなさい。第7の月の1日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。燃やして主にささげる献げ物を携えなさい。

民数記29章1-6節
第7の月1日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。角笛を吹き鳴らす日である。・・・焼き尽くす献げ物を主にささげ・・・燃やして主にささげる宥めの香りとする。


神様は新年を第一の月から第7の月に変更するようにとはおっしゃっていません。

神の律法に忠実であろうとして、今も安息日にはモーセ五書(律法の書)を一年かけて読んでいるユダヤ人たちが、なぜにこういうことをしているのかが不思議でした。


聖書は春に来る過越しの祭の時が正月だと言い、ユダヤ暦では秋に来るロシュ・ハシャナが新年だと言う。
どうしてそんなことが起きてしまったのでしょう。


ユダヤ人たちはバビロン捕囚になる前は、春の過越し祭の月を正月として祝っていたのです。
60年にわたるバビロンでの生活がバビロン暦の影響を受けないわけはありません。

そこで、バビロンでは秋から新年が始まる暦を使っていたのかどうか、という問題が出てきます。

Wikipediaなどを調べた結果、バビロンの新年は春分のころ(現在の暦では3月20日前後)の最初の新月が元旦となります。

あらら、バビロンも新年は聖書の過越しの月と同じだ!

どうやらバビロンの影響を受けたのは、月の呼び名、名称のようで、バビロンの新年が秋からであったわけではないということがわりました。

また、イスラエル、古代ユダヤにおいても「新年」は必ずしもひとつではなく、聖なる祭りの始まる春の新年(宗教暦)と農耕用の秋の新年(生活・政治暦)と、新年は2種類あって、ユダ族(南王国)では後者を使っていたため、その流れで現代のユダヤ暦も政治暦のほうが用いられるようになったらしいのです。

このようなことが分かってくると、バビロン暦からの影響は、月の名称に関してのことであり、新年がバビロン暦にあわせて、春から秋に移行したのではないらしいのです。
例えて言えば、日本での1月の新年と、4月から始まる新年度の違いのように考えたらよいのかな。

ところが、石井田直二氏(シオンとの架け橋)のこのような記事も見つけました。

「ユダヤ人たちがバビロン捕囚になる前は、春の過越の祭の月を正月として祝っていたのです。バビロンの人たちは秋分から新年が始まる暦を使っていたので、ちょうどその時にユダヤ人たちが祝っていた「ラッパの祭」がいつしか新年の祭になりました。」

では、バビロンの正月は、秋?
またふりだしにもどってしまった・・・

バビロンでも、新年の始まりは、春と秋と二種類あったということかしら。

ただ、第七の月の一日である新月は、聖書にもはっきりかかれているように、過越しの月と共に、とても大切な聖なる安息の日であったことはまちがいない。

神様の創造された季節、時間を、人間の知力で、人間社会に表すことの困難さがわかります。
そうなると、新年が本当はいつなのか、祭りの日が正確なのはいつなのか、はじき出すことは困難極まりない。日程は不正確である、ということが見えてきました。

ユダヤ教のレビたちにより、天地創造年は西暦の紀元前3761年10月7日と定められたとしても、その日には不確かさや疑問がついてまわり、信憑性は曖昧です。

この計算で行くならば、アダムの誕生日は紀元前3761年10月13日ということになるわけですが・・・。
でも、私は、アダムの誕生日をもっと正確に当てることができます(笑)
「創造年の創造月の6日です!」

私たちは、自然の巡りに誤差の少ないグレゴリオ暦という太陽暦を手に入れました。
でも、ユダヤ暦にしろ、グレゴリオ暦にしろ、完全ではないのです。
その中で、完全な日程を見つけることができました。

それは天地創造から第七日目が安息日であるという事実です。

ところが、聖書の1日は、「神の一日は人の千年のごとしとあるように、私たち人間の感覚での1日とは違うという見解もありますが、私は「夕べがあり、朝があった」ということで、一日であると考えています。


ユリウス暦からグレゴリオ暦に変わった時にも、曜日の変更は起きませんでした!(1582年10月4日木曜日)の翌日を、曜日を連続させながら、10日間を省いて、1582年10月15日金曜日)とすることを定めた)


そもそも安息日の起源は、神が天地を6日間で創造し七日目に休んだことが根拠です。

では第七日目がどうして土曜日なのでしょうか。

ユダヤ暦では曜日を「日曜、月曜・・・」とは呼びません。
数字で呼びます。「第一の日、第二の日・・・」そして昔も今も、天地創造以来、七日目が安息日になるようになっています。

シャバットとは、ヘブライ語で「休む、仕事を止める」という意味で、シャバット自体が安息日という意味になっています。

曜日を「日月火水木金土」と呼ぶのは異教の占星術に基づいたものであり、太陽・月・5つの惑星を用いた名称で、2世紀ごろからキリスト教徒の間でも使われだしたと言われています。

第七日目に土曜日という名称がついたために、安息日が土曜日となったというだけのことなのです。
私たちSDA教会は、聖書の記述に従って、第七日安息日に礼拝しています。
しかし、多くのキリスト教会は、イエス様の復活された日を「聖日」として日曜日に礼拝しています。

安息日が土曜日から日曜日に変更されたという記述は勿論、聖書のどこにもありません。

新年が変更されたと書かれてないにも関わらず、秋の新年を祝っているのと似ていますね。

イエス様も安息日には会堂に行って礼拝なさっていました。
使徒言行録を読めば、弟子たちも安息日には礼拝していたことがわかります。

イエス様は金曜日に十字架にかかられました。
そして土曜日には、お墓の中で安息なさったのです!休まれた(シャバットされた)のです!
そして日曜日に復活なさいました!

出エジプト20章8節
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。6日の間働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない」

イエス様は忠実に安息日を守られました!お墓の中で!

安息日は、第七日安息日ばかりでなく、過越しの祭りの日も「安息日」と呼んでいますから、過越しの祭りが七日目ごとの安息日と重なる時もあれば重ならない日もあります。
イエス様が十字架にかかられて、アリマタヤのヨセフの用意したお墓に入られたのは、第七日目の安息日と重なる巡りだったのでしょうか?疑問に思うようになりました。

 

その点については、通読表を造ってくださった牧師先生が、ヨハネによる福音書19章31節に答えがあると教えてくださいました。

「『その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、・・・』とありますから、第七日安息日と重なる巡りだったのですよ」

疑問が解決してほっとしました。

過越しの祭りが示していることは、イエス様が贖い主であるということです。

アブラハム、イサク、ヤコブの神、ヤハウェなる神であるイスラエルの神がどういうお方なのか、過越し祭りが確実に現しています。


ラッパの祭りには、そういうお方である神に心をしっかり向けるように、ラッパを吹いて全国民に告げるものです。

ですから、出エジプト記12章の1,2節には「過越しの年を記念して新年とせよ」との神様のお言葉にユダヤの民には忠実に従い続けてもらいたかったなあ・・・というのが、私の思いです。

 

マラナ・タ

いかがでしたでしょうか?

このことに、気になっている方がいらっしゃいましたら、参考になるでしょうか?