ごきげんよう!さわこです。
葦の花かもしれない。
「あなた方は、何を見に荒れ野へ行ったのか。
風にそよぐ葦か。」マタイ10:7
大魚の腹の中での強いられた3日間の休みを通して知ったことは、
ヨナがどれほど神に依存しているかということでした。
つまり、拠り所が何も無い所に連れて行かれる必要があるのです。
(人生の荒野に連れて行かれた状態のようなものだと考えました)
ヨナにとって、安全な唯一の道は(時にそれが遠回りに見えても)、
神の御心の内にいることであることを知ったのです。
安息日学校聖書研究ガイド2021.9.13
ガイドを学びながら、受けた恵みです。
強いられた→ 強いられて十字架を負う
何も無い所→ 人生の荒野の時代
神のみこころの内にいる→ 神の御心=イエス・キリスト
神の御心の内→ イエスこそ逃れの道、岩なるイエスの陰、イエスの御翼の陰
クリスチャンは、いつも、
イエスの囲いの内にいる。
イエスの守りの内にいる。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導きだして、確かなものとする。
(イザヤ42:3)
マラナ・タ
創造主を、贖い主として、理解することは何という恵みだろうか。
ヤハウェをキリスト・イエスとして、同じ一つの神として。
そこが、ユダヤ教徒の違いなんだろう。
まだ来ぬメシアを待つ民と。
初臨なさったメシアが今、天上の聖所で
執り成しの祈りをささげていてくださって、
そして、そのお方が、
間もなくご再臨されることを信じて待ち望む民と。