ごきげんよう!さわこです

8月最後の安息日の分級の記録です。

 

サムエル記上16章 安息日学校小学上級生クラス

2021,8,28のライン電話授業より

 

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サムエル記上16章は、このように始まります。

1節:

主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。私がイスラエルを治める王位から彼を退けた。・・・あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見出した」

 

エッサイには8人の息子がいました。エリアブ、アビナダブ、シャンマ・・・でもその中にはいません。神様はこうおっしゃったのです。

「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と。

 

7人のどの息子も神様の目にはかなわなかったのでした。そして、羊の番をしている末っ子のダビデが連れて来させられたのでした。ダビデを見た主は「これがその人だ」と言って油を注がされたのでした。神様はサウルに代わってダビデを選ばれたのでした。

 

さて、12節にダビデがどんなであったかが書かれています。

「血色が良く、目は美しく、姿も立派であった」と。

聖書のこのページを開いてください。そして、赤線を引いておいてね。

 

私は、あなたたちに、ここからお伝えしたいことがあります。

まず、「血色が良い」についてです。

血色が良いとは、健康で顔色が良いということですね。

体の中を流れる血液がきれいだ、健康だ、ということです。

肉体的に健康だと言うだけでなく心がきれいで、すこやかだと言う意味です。

 

どうして、きれいな清い血液だといえるのか?それを説明します。

先ず、神様は、土でこねて造ったアダムに命の息を吹き込まれました。そうして生きる者となったのですが、サタンに惑わされて罪が侵入して汚れてしまったのですね。

そこで神様が救済計画、救いの計画を立てられたんです。

神の御子であるイエス様が十字架にかかられて血を流されて、私たち人類の罪をあがなってくださったんでしたね。

君たちはこの話を知っていますね?

 

イエス様の流された血潮によって、神様の御計画を信じている人たちの体には、イエス様を信じているから、イエス様の血が、信じる人の心に流れているんですよ。

 

ダビデの子孫から人間としてのイエスがベツレヘムでお生まれになったんですね。

そのことをなんていうのかな?

 

そう!クリスマスです!

 

イエス様はもともと神様でいらっしゃいますから、永遠から永遠に生き続けるお方です。

 

イスラエルの民は、聖書を信じる民ですから、聖書の神様を、人間としてのイエス様がお生まれになる前からメシヤである(救い主)イエス様を信じていたんですよ。

だから「血色が良い」と書かれていることは、少年ダビデが、イエス様を待ち望む信仰を持っていたという証拠であるんです。

 

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次に「目は美しく」を説明しましょうね。

新約聖書に書かれているイエス様のお言葉です。

マタイ6章22節を開いてください。新約の10ページです。

「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい」

ここも線を引いておいてね。

「目は心の窓」って聞いたことはありませんか?

 

日本では昔から、「心の美しい人は目がきれいだ。目を見たらその人がどんな人かわかる」って意味で使われているんですね。

だから、いつも神様を見て生きている人は、心が美しくなって行くことが目の美しさであらわれるんですね。

 

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さて、次は、ルカ11章34節も開いてみましょう。

ここも赤線を引いておいてね。

「あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば体も暗い」

 

私の聖書には、書き込みがあるんですが、君たちに教えてあげるね。聞いてびっくりしますよ。

「目が澄んでいる」とは、日本での「心が美しい」という意味ではなくて、ユダヤでは「気前が良い」って意味なんですって。

 

では、「目が濁っている」とは?

気前が良いの反対になりますね。

 

「分かった!ケチだ」

電話のむこうから、笑い声も聞こえてきました。

 

そうそう、ユダヤでは、ケチなヤツって意味なんですって。

日本流では「心が良くない」って意味になりそうだけれどね。

そういうのではなくて、「ただのけち。」

 

(ここで、二人の少年は爆笑!)

 

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聖書の神様、イエス様の父なる神様はすごく気前の良いお方なんです。

こんなお話を聞いたことあると思います。

 

マタイによる福音書20章1-16節

 

「天国は次のようにたとえられる。」と言ってイエス様はお話をなさったのね。

 

ぶどう園を持っている人が労働者を雇うために広場に行ったんですって。

まず9時に、次は12時、3時、5時。

そして、仕事が終わったら、全員に同じ給料を支払ったんですよ。

仕事の終わりの時間は書いてはいないんだけど日が暮れるまでだとして、とりあえず6時にしておきましょうか。

 

9時からの人は1時間昼食休憩があったとしても8時間労働ね。

5時からの人は1時間だけ働いたの。

 

給料は「一日につき」1万円だとして、8時間働いた人は1万円もらったのね。

1時間しか働かなかった人も1万円もらったのよ。どう思う?

 

子どもたちは「それは不公平だ!」「そうだ!そうだ!」とおおさわぎ。

 

そうだよね。絶対、不公平だよね。

じゃあね、ちょっと考え方を変えてみて。

 

イエス様は、天国でのお話をしているんであって、この世の中の仕事のお話ではないってこと。頭の中を切り替えてね。

 

ぶどう園の主人はイエス様だとしたら、働いた時間はイエス様と一緒に居た時間ってことになるね。

 

バプテスマを受けて8年目の人と1年目の人と、値打ちはちがうかしら?

8年目の人の信仰が立派で1年目の人の信仰はつまらないかしら?

と聞いてみました。

 

二人は「ない!ない!ぜったいない!比べられない!」と言いました。

 

「じゃあ、ぶどう園の主人は不公平かな?」

 

「全然、不公平じゃないよ」と、自分たちで答えを出しました。

 

「1時間しか、働かなかった人にも、8時間働いた人にも同じお給料を払うって、気前がいいねえ」

 

「うん、全くケチじゃない。全然、ケチじゃない!」

 

このたとえからもわかるように、能力や仕事した量の多い少ないで、人を差別しない。

つまり、1時間しか働けなかった人にも、8時間働いた人と同じお給金を払ってくださるぶどう園の主人。

つまり「気前が良い」という意味につながるのね。

 

聖書の神様って、このぶどう園の経営者のようなお方だって、イエス様はおっしゃるのよ。どう?

 

「うん、僕たちの神様って、すごい!」と電話の向こうから聞こえてきました。

 

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さあ、新約聖書の福音書のお話から、ダビデの話に戻りますよ。

 

ダビデの目が美しい、ということは、

ダビデはいつもイエス様を見ていたということになるんです。

 

血色が良いということも、いつもイエス様の心で生きていたいと願っていた少年だったということのあらわれなんですね。

 

だから、神様は、ダビデを王様になるにふさわしい資質を持っていると思われたんですよ。

 

続く

マラナ・タ

続いて17章も学びましたが、長くなるので「つづく」とします。

約一時間、の学びなんですが、振り返って書いていると長くなっちゃいます。

この授業は休憩もなしなんですが、4年生の少年たちは楽しそうに受けてくれます。

授業の前日、金曜日の夜、安息日に入ってからなのですが、

聖霊様の導きを願って祈るのですが、テキストからは、主題がつかみにくいことがほとんどなのです。

でも、朝、聖霊様が目覚めさせてくださって、だいたい4時くらいなんですが、導いてくださいます。

昨夜の悩みが嘘のようです。

神様に感謝と讃美をお捧げしないではおれません。