ごきげんよう!さわこです
昨日、美しい三日月を見ました。
もともと私はキリストという名前の神様を
信じていなかったし求めてもいませんでした。
私は、子ども時代から漠然と神を信じてはいましたが、
クリスチャンホームで育った訳でもありませんでした。
非常に典型的な神仏習合の日本人家庭でした。
礼節、慎みを暮らしの中で習慣的に教えられ、
季節の年中行事を節目節目に忘れない、そういった暮らし。
そういう暮らしは、自然の中にいらっしゃる神様を感じても、
宗教儀式の中で、創造主は分かっても、
贖い主・救い主なる神の重要な面は、分かりようがありませんでした。
しかし、本質的な神を無意識下で求めていたのは、確かでありました。
ある時、「神の方で私に目をつけ、導いて、信じざるを得なくされた」体験をしました。
それは、セブンスデーアドベンチスト教会の「預言の声・通信講座」を勧められるという出来事から始まりました。
「知識・教養として学ぶに越したことはない」
こういう単純な動機で、学ぶことにしたのでした。
通信講座が終わる頃、一つの御言葉により、イエス様に包まれてしまいました。
コリント人への第一の手紙10章13節口語訳
「あなた方の会った試練で、世の常で無いものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えてくださるのである」
生ける神キリストと出会い、その瞬間、キリスト教ヘの偏見が消えて、
聖書の神を「我が主よ、我が神よ」と告白してしまったのでした。
一度も教会に行ったこともない、私が。
思いもよらない、奇蹟のようなことが起きました。
通信講座を終えると、地図で教会の場所を調べて、一人で訪問しました。
それから、30年が過ぎました。
ヨハネの第一の手紙4章13節
「神が、御霊をわたしたちに賜ったことによて、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る」
マラナ・タ
マラナ・タという言葉の意味は「主イエスよ、来たりませ」
「主イエスよ、いつも私の内に来てください。
主イエスよ、あなたのご再臨を持ち望みます」
という短い祈りとなる御言葉です。