ごきげんよう!さわこです
横たわる庭ねこの加藤とらきちくん
ただものではない、考える猫、哲学する猫の風情があります。
誇りと利己心は、不穏と野心の根元に横たわっています。
私たちは、それを認めると、「良い子」になろうとして、
自分たちの救いとなるよう、神の手助けをすることで、
自主服薬をして
自慢する心へとそそのかされて行きます。
それは別の形での誇りです。
この方法は、原因の代わりに
対処療法を行うようにと、
私たちを丸め込んでいきます。
(安息日ガイド副読本より)
なかなか気づきにくい方法をサタンは仕掛けますね。
良い事をしている気分になり、
神様に協力しているかのような錯覚さえしてしまいます。
丸め込んでしまわれてることにも、気づきません。
完全に信仰者の道を歩んでいるつもり。
人の目には、成果が上がって見えるからです。
人からは、感謝と称賛をもらうからです。
中には、それに気づく人がいて、それを指摘してくれたりもします。
その時、「失礼ね」だとか、
「妬んでいるからそんな事をいうんだよ」とか
そんな思いも起きたりする・・・
こうしたサタンの別のささやきに
そそのかされませんように。
謙遜を神様に頂かなくては、どうにもこうにもならない人間の罪深さを思いました。
マラナ・タ
深いところの悔い改めに気付かされた今朝の聖書研究。