ごきげんよう!さわこです
 
待ちに待ったハマボウが咲いていました。
この道を通るたびに、チェックを入れていましたが、数日前には、つぼみも見かけませんでした。
 
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クリスチャンが直面する最大の危険の一つは、
神様の律法を誤用することです。
 
神の律法を守ることには全く失敗していながら、
神のさまざまの律法を守ることには
極めて熱心であり得るということなのです。
 
安息日遵守者であるためには、
聖霊の内在を必要とします。
 
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宇宙の神との愛の関係においてのみ、
私たちは安息日の真の意義を見いだすのです。
 
個々の律法を守りつつも、
神の律法を守らないことがあり得るのです。
 
すなわち、人は外見的に服従しながら、
心に神の愛を持っていないこともあるわけです。
 
別の言い方をすれば、
正しい日を守っていながら、卑劣であることも可能なのです。
 
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内的キリスト教の欠如した外的服従の状態は、
私たちが陥り得る最も霊的に危険な状況です。
 
この点で欺かれている人々は、
正しいことをしているために
霊的な自己満足を強く感じています。
 
放蕩息子の兄のように「我に返る」ことをせず、
また自分の真の状態を見ようともしません。
 
それが昔のファリサイ派の人々の問題点でした。
 
彼らは誠実に個々の律法を守っていましたが、
神の律法を破り、キリストを十字架につけてしまったのです。
 
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個々の律法に重点を置く人々の中には、
いつの時代でも卑劣な精神が宿っています。
 
イエスもこのような精神と対決なさいました。
 
(福音に生きる48-51頁より抜粋)
 
マラナ・タ
人を指さして
「あなたは自分が正しいと思っているでしょう。
それは霊的自己満足ですよ。」
と、言ってくる人には・・・
会釈して、
さらっと、通り抜けて行こう。