ごきげんよう!さわこです。

 

image

 

今日の光 2021.5.14より

 

天から委ねられた心の能力は、

体の王国を治めるための、

より高い能力として扱われるべきである。

 

生まれながらの食欲と情欲は

良心と霊的愛情の支配に委ねられねばならない。

 

生ける神は、ご自分の聖なる律法の中に、

ご自分の品性の写しを与えておられる。

 

世が知っている最高の教師はイエス・キリストである。

理想的なクリスチャンの品性は、キリストに似ることである。

 

私たちの前には、絶えざる前進の道が開かれている。

 

image

 

読みながら、イエスは最高の教師・・・

思い出しました。

 

私の父は大正10年生まれ。
学生時代にキリスト教に触れていて・・・
(多分、時代背景などを鑑みたら、無教会派だったみたい)
 
娘の信仰を通して若い日の記憶が迫って来たようでした。
 
父は、ずっと、イエス様を最高の教師として見てきた。

「最高の教師」であって「救い主」とは分かっていなかったのではなかったのか。

 

だから、医者になってからの人生、家庭を持ってからの人生において、

「手本とする」目標の「イエス・キリスト」はいても、その方が、魂の空白を埋めてくれる方であると知らないままであったのではないのかしら。

 

image

 

大学の卒業を繰り上げられて「海軍軍医」としての準備期間中に敗戦。

先の大戦では、同世代の者たちが大勢、死んでいった。

世の中には「理不尽」が満ちている。

その理不尽に断ち向かうのは、「誠実」「正直」「真面目」「熱心」「努力」「人格磨き」そういうことで、人生から「報い」を受けて来た。

徳を積み、良き人間関係や善き仕事ができて来た。それは、「理不尽さ」に対抗できるものだった。

 

しかし、そうではない、「理不尽極まりない人生最大の試練」を受けた。

手術のミス・・・

それに関しても

「人間のすることに完全はない」と受け入れ赦しの心を持った。

「さすが、徳のあるお方はちがう。人格者だ」と世の賞賛を受けても、不自由な体は回復しない。

努力と人格で、立ち向かえる試練ではない。

職業も失い、「存在するだけの人」になった。

 

「イエスのような人物になる」

最高の教師としてイエス様を目標として、生きてきて父は「意味」を見失った。

 

メシアとしてのイエスを必要としたのだったと思います。

 

病床の父に「お父さんはイエス様を偉大なる教師と見ているでしょう?」と聞きました。
 
頷きました。
 
「私はね、それだけでなく、私の個人的救い主と信じているの。お父さんもそう信じたいと思わない?」
 
すると、父は動く左手の指でOKサイン。
 

image

 

即、牧師に電話しました。
退院したら、バプテスマを前提に父に聖書の学びをしてください❗️」
 
毎週、両親と娘、牧師での集会が何回続いたのでしょうか。
 
牧師の「決心のうながし」に、父は応じました。
そして、信仰告白に至りました。
今から20年前。
私のバプテスマから、10年後。
 
牧師先生は、「奥様もご一緒にいかがですか?」
 
母は、きっぱり断りました。
その断り方は「私は安息日には、家庭菜園、お洗濯、お掃除、お料理をしとうございます。安息日には何もしてはいけないのでしょう?」
 
牧師の返事は、
「安息日には、どこにいて何をしていても、神さまを忘れることなく見上げて生活していることが大事なのです」
 
母の驚いた顔!
 
「はい、よろしゅうございます。主人と一緒にお願いいたします」
 
母の急転直下の変わり身の素早さ。
牧師の言葉に聖霊様が働き、瞬時に母の信仰による応答が起きました。
 
母は長い婚約時代に父からの手紙に聖書を読むようにと勧められていた事を思い出して話してくれました。
その往復書簡の束を数回の引っ越しの時にも持ち続けていました。
 
初めての聖書研究の時に、父が讃美歌を知っていて、歌ったのには驚きました。
 
父は手術の後、麻酔から目覚めることなく、やっと目を開いたときには、失語症、右半身まひ。
何のための手術だったのか・・・
 
話が出来なくなった父。
片言の単語を並べての会話しかできなくなった父。
 
その父が、歌は歌える。
しかも、青年時代に覚えていた讃美歌。
「いつくしみふかき」
「神ともにいまして」
 
そして、新しい讃美歌を覚えました。
牧師の好きな「ここは神のみくになれば」
 
父の愛唱讃美歌が一つ増えました。
 
image
 
それから、8か月後・・・
夜遅く、寝ている父の様子を見に行った母は、父の微笑んだ表情に
 
「お父さん、どんないい夢を見ているの?」
 
目をあけない。
息をしていない。
父の臨終の直後でした。
 
は、神様から吹き込んでもらった「命の息」を神様にお返したのです。
天が開けて、父はイエス様にお目にかかったのでしょうか?
母に別れの言葉も告げませんでしたが、「ほほえみ」が、それでした。
 
「妻への別れの言葉」と「イエス様に出会った喜びの言葉」としての「ほほえみ」だと私は思いました。
 
image
 
マラナ・タ
父の死後、数年たって父の机の引き出しの中から、母が見つけました。
母の生前に受け取った私。
何処に片づけたのか、見つからないままに数年経過。
一昨日、「あらこんなところに片づけてあったのね」
 
父が現役時代に書いたものだと思います。
医学生の時代に聖書に出会い、その時には洗礼に至らず、
しかし、父の深層には、神と自己との関係が持続していたあかし。
 
image