ごきげんよう!さわこです。

 

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信仰の姉妹との対話のなかで、

数年前に読んだ本

(島田真澄 著 「悲愛の人」 福音社) 

の一節を思い出しました。

 

「涙は神がおわかりになる言葉です」
この言葉です。
(2015年の夏に読んだ信仰書です)


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なぜ、涙が出てくるのか不思議に思いました。
物事は、あてにしていたような結果にはなりませんでした。
しかし、神はそばにお立ちくださり、落ちる涙を御覧になっています。
涙は神がおわかりになる言葉です。

神はうちひしがれた魂の涙を御覧になっています。
神はあなたの涙を御覧になり、その落ちる涙の音を聞いておられます。
神は人と一緒に泣いてくださり、手を取ってくださいます。
涙は神がおわかりになることばです。

悲しみがあなたを惨めにするとき、涙を流させるのです。
その重荷にとうてい耐えきれないように思うのでしょう。
しかし、神はあなたをお忘れではありません。

神の約束はかわりません。
涙は神がおわかりになる言葉です。

 

(ゴードン・ジョンソン)

 

 

聖句も自然に思い出されました。
 

「悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる」マタイ5:4

 

「神よ、あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。
あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」  詩編56:2,9

 

「イエスは涙を流された」 ヨハネ11:35

 

御言葉は、蓄えておくと、霊的財産となります。

 

私の嘆きも悲しみも、神様はご存知で、私の涙の行き先は神様のもとであるという事実は、

なんというなぐさめでしょうか。

 

 

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マラナ・タ

著者〈島田真澄牧師)の言葉を引用します。

 

天地万物を創られすべてを支配される神は、私たちの涙のわけをご存知です。
そして私たちが涙を流す時、私たちのそばに来てくださいます。
これほどの慰めがあるでしょうか。
悲しみの時、私たちは神の御手に触れ、新しい力を得て、立ち上がることができるのです。