ごきげんよう!さわこです。
創世記6:6
神は「地上に人を造ったことを後悔し心を痛められた」
ここを読んだ時「神様も後悔なさるんですね!」と思ってしまいました。
今期のガイド副読本において、その私の謎が解けました。
神様の「悔いて」(口語訳)は、人間の後悔とは違います。
1サムエル記15:29(新改訳)には
「実に、イスラエルの栄光であるお方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間でないので、悔いることがない」
この聖句に、謎解きのヒントがありました。
また、「悔やむ」というヘブライ語ナハームは、不義や罪に関するものではなく、「不変のお方であられる神様は、人が変えられることを考慮して、神は姿勢をお変えになられる」との真理を提示して用いています。
次の、神様の反応は、神の寂しさです。
神は人間とその邪悪さによって深く傷ついたのです。
罪が、神の心に深い痛みと深い悲しみ与えました。
人間が罪を犯す時、神は深い悲しみの内に、状況に応答されるのだという意味です。
マラナ・タ
実は、何年も前に
「ノアのところを読んでいたら、神様が後悔なさった、とありますね。神様も後悔なさるんですね」
と、信仰の大先輩に話したら、ピシッと言われました。
「神様は、後悔はなさいません!」
その意味がやっと解りました。