ごきげんよう!さわこです
タイトルに迷いました。
「オオイヌノフグリ」と単純にしようか・・・
「忠実・信頼・清らか」の花言葉にしようか・・・
ほんと、悩みました。
オオイヌノフグリ
タチイヌノフグリ
別名は、瑠璃唐草、天人唐草
唐草から分かるように帰化植物なんですね。
ヨーロッパ・アフリカ原産で世界中に分布しているそうです。
「星の瞳」の由来かどうかはわかりませんが、
高浜虚子は
「犬ふぐり 星のまたたく ごとくなり」
と詠んでいます。
牧野博士の命名は、「植物学者の冷徹な目で実の形からつけた客観的な植物学上の名前なのです」。
なるほどね・・・冷徹な目とは、感情移入無しのクールな感性なのか・・・
あるいは、少年期前半の感受性なのか・・・
なんだか、笑えますね。
このような可憐な花の口に出すのもはばかるような名前に女性たちは困ってしまうようですが、そういう話題の大好きな小さい子どもたちには大うけしているのでしょうね。昔も今も。
そして、私は、この恥じらいの延長線上に、パウロの言葉を思い出さずにはいられません。
新約聖書コリント人への第一の手紙12章には
パウロは以下のように書いています。
「体は多くの部分から成り・・・
ほかより弱く見える部分がかえって必要なのです・・・
神は見劣りのする部分を引き立て、体を組み立てられました。
それで体に分裂が起こらず、各部分は互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、
一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」
牧野博士の命名のこの名前に、恥じらいは飛んでしまいました。
体の部分に、上等も下等もない。
上品も下品もない。
一つとして欠けてもよいものはない。
しかし、不幸にして(不幸と表現することにも差別意識だと言われるのかもしれないけれども、今の風潮では)
欠けたところには、それを十分に補うために、他の器官を強めてくださる。
神様の御配慮。
神様のその配慮に満ちた愛にお答えしようとして努力・研鑽する人がいる。
偉人と呼ばれる人々。尊敬・敬愛する人々。
そういう人々が、世の中を動かす。人の心を動かす。
マラナ・タ
花言葉は「忠実・信頼・清らか」
イエス・キリスト様のご品性そのもの。