ごきげんよう!さわこです。
 
昨年の今日の記録です。
タイトルを変えてみました。
「その時の風に乗るなら」に、変えてみました。
 
「2020.3.3 今日の光」からのデボーション
 
「人間は清く聖なる者として造られたが、反逆によってサタンの特質を持つ者となった・・・・」
 
今朝の、こぶしの花ひとつ。
 
 
・・・・・・・・・・感想  青字は昨年(2020年)の感想。
黒字は、今年の今朝の感想
 
地の上に生きる私たちは、
誰ひとりとして、
キリスト以外の力では、
サタンの特質を脱ぎ捨てることはできない。
 
そんな人類のために、
キリストは人として世に来られ、
律法に従い、病と悲しみと罪を
担う方であることを啓示されました。
 
サタンの特質を持ってしまった人類すべてを
サタンの縄目から解き放つためであったのです。
 
このことを信じられますか?
よくキリスト教は性悪説、
○○教は性善説なんて、
評論されますが、
それは人造の学問の諸説に過ぎません。
 
 
聖霊によらなければ、誰も、イエスは主であるとは、言えないのです」1コリント12:3
 
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」1コリント2:14
 
(今年の感想)
この聖句を読んでから、イエス様のことを伝えても「ふーん、ワタシ関心ないのよね。空気読んでよね」と、言う人のいることが、素直に分かるようになりました。
 
この「霊」とは、聖霊、神の霊のことです。
聖書に書かれていること、聖書の神様のこと、福音は、人間の知恵では分からないのは当たり前ですから、信じられないのも当たり前。
 
ところが、このことを知りたいとの思いを聖霊が起こしてくださる不思議な時(神の時)があるのです。
 
その時の風に乗るなら、神の霊が分からせてくださいます。
私もそうして、分からせてもらった一人。
 
(続いて、今年の感想)
 
ですから、「伝道しなくちゃ。嫌がられても(迫害・拒絶と受け止めて)熱く伝えるのだ。」なんてことをしてしまうと・・・
 
勿論、根負けして、「せっかくですから、お聞きしましょう。お誘いに応えて講演会に参りましょう」という人もいる可能性もあるけれども、御言葉によらず、ばくぜんと可能性という美しい言葉に期待して、熱く語るなら、暑がられても仕方ないのかもしれない。
 
霊のことを、肉の頑張りで伝えようとするのは、神様の働きの邪魔をしているのかもしれない。
 
場合によっては、神様がその情熱に情けをかけてくださるタイミングもあるのかもしれないのだから、私がとやかく言うことでもないのだろうとは思います。
 
でも、大事なことは「霊のこと」を語ろうとするなら、日々、神様に自分の心を明け渡して、神様との関係(霊の関係)を構築していく事ではないかしら。
 
どういうふうに?
方法は聖書に書いてある。
良質な信仰書に書いてある。
 
さて、そうした日常的な積み重ねで、私の内に住んでくださるキリスト様が、香りを放ってくださるならば・・・つまり、聖霊様が働てくださるならば、とりつく島のなかった人の心が変わって行くのではないかしら。
 
さて、
2020年3月3日、午後 2時40分の空には上弦の月が薄く透けるように見ていました。
 
2021年3月3日、朝 8時の北山にはかわいい雲がぽっかりと。
 
 
一年後の今日の8時の朝月の月齢は、19、3
 
同じ月日だけど、太陽暦だから、去年と今年とは、月の大きさは違います。
12日の差かな。
 
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マラナ・タ
暦を見る時、旧暦の日付と月の満ち欠けが載っていると、毎日が楽しくなります。
曜日と数字だけの、しかも、月曜始まりで七日目が日曜日の暦は、絶対買いません。
頂き物だったなら、それなりに、暦以外の使いみちを。
 
神様の天地創造された創造週については、創世記1章1節から2章4節の1行目にきちんと書かれています。
 
1:1 初めに神は天地を創造された。・・・・
2:2 第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。
2:3 この日に神はすべての仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
2:4 これが天地創造の由来である・・・