ごきげんよう!さわこです。

 

最初の睡魔が襲って来た時、速やかに寝てしまいますと、良質な睡眠が得られます。

その眠気と戦って、もう少しこのことを進めてから、と後回しにしてしまうことも、時々してしまいますが。

 

一昨夜も昨夜も、最初の睡魔到来に合わせて寝てしまいました。

 

おかげで、早起きできてデボーションを終えたタイミングで、

月齢 26、9の月 27、9の月。

 

有明の月を、見ることができました。

 

6時12分

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6時20分

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自宅の屋上からの写真です。

 

土手の道で、被造物に邪魔されずに、有明の月を見ながら歩こうと飛び出しました。

そうは問屋が卸さない。

 

日の出が近づくと、月が目立たなくなりました。

 

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目を凝らしてみなければ・・・

 

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屋上で、観察を続けた方が良い月が見えたような気がしました。

 

明日、お天気が良ければ、月齢28.9のさらに細い鋭利な月が見られるはず。

 

夜明け前からのウオーキングとなりました。

 

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いつものスポットで、待ち伏せして、通勤(通学の)自転車乗りを撮影。

「助監督、はやく、早く。通行人Aを登場させてよ。カメラマンは手袋を外しているから、指先がかじかむよ」

 

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神様は天体を造られた。

 

創造週の第4日目。

 

創世記1章14-19節

 

14、神はまた言われた、「天の大空に光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、

 

15、天のおおそらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。

 

16、神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかどらせ、小さい光に夜をつかどらせ、また、星を造られた。

 

17、神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、

 

18、昼と夜とをつかどらせ、光と闇とを分けさせられた。神は見て良しとされた。

 

19、夕となり、また朝となった、第4日目である。

 

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31年前「預言の声・聖書通信講座」を、半年ほどかけて学びました。

私は、神の存在を何とはなく信じていましたが、キリスト教を嫌っていました。

勿論、聖書も読んだことはありませんでした。

しかし、神様の不思議としか言いようのない計らいで、行きがかり上「聖書通信講座」を学ぶようになってしまいました。

 

その講座も終わろうとするときに、生ける神キリスト様に、一つの聖句によって出会ってしまったのです。

それは、新約聖書コリント人への手紙第一・10章13節。

 

キリスト様の臨在に触れてしまったら、もう、とっつかまってしまったとしか言いようもなく。

首根っこを捕まえられたとしかいいようもなく。

不思議な力に(聖霊の神様だったと後になって分かったのですが)ぐいぐい引っ張られて、背中を押されて、無我夢中で教会に行ってしまいました。

ウイークデーの木曜日。

 

そのまま、初対面の信者さんと毎週木曜日に、聖書を学ぶようになり、安息日礼拝に出席をし続けて、30年以上経ちました。

 

教会には、幼稚園時代に行ったきり。

カトリックの幼稚園でしたから。

ですから、初めてと言えます。

通信講座を学んでいる時でさえ、キリスト教会には行きませんでした。

お誘いは、即、お断りしていましたから。

無料の聖書通信講座なんて、信者獲得の手段だと決め込んでいましたから。

 

マラナ・タ

それがなんとまあ。創世記の天地創造を、そのまま信じております。

「マラナ・タ 主よ、来たりませ」と主イエスの再臨を信じて待ち望むSDA信徒になっております。