朝日を受けて
梅の花 咲く。
 
ごきげんよう!さわこです。
 
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2021.2.6 の安息日礼拝メッセージより
 
「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(ヨハネ 17:22)
 
わたしたちとは、イエスと父なる神。
彼らとは、キリストの弟子たち。
 
信じる者たちが一つになることをキリストは、父なる神に祈られたのでありました。
 
教会が一つになることによって、その中にキリストがおられることが世の中の人々に明らかになるのです。
 
罪の侵入によって、この世界は一致から分裂へと変わってしまいました。
 
一つとなっていた関係が壊れてしまったのです。
 
その壊れた、分裂した関係を修復することが、神様の救いのご計画です。
 
そのために主はこの地においでになられたのです。
 
聖霊降下を体験した初代教会は「心も思いも一つ」になって、その結果、貧しい人が一人もいなかったという奇蹟が起こっていたのであります。
今までの他の社会が真似できない事が起こったのです。
 
今日の私たちの世界は、分断された社会、格差のある社会、となっていますが、しかし、初代教会の始まりはそのような分断はありませんでした。
 
自分の権利や損得にこだわる思いから解放されて、復活されたイエス様に結び合わされた新しい命に生きる信仰者の新しさがありました。
 
今、私たちが所有しているものは、神様から委託されたもの(スチュワードシップ)である事の原型を見ることができます。
 
経済的に満たされている者は、困窮している同胞を助けるという責務が託されているのです。
もちろん、自分に与えられた力に応じてで、果たす事が求められているのです。
 
初代教会はそのようでありました。
 
しかし、理想的に見える初代教会にも光と影がありました。
 
聖霊の声を聞いて、進んで善行に励んでも、聖霊の働きを絶えず受け続けないならば、アナニヤとサッピラ夫婦のように、自分の欲に負けて、聖霊のささやきに蓋をしてしまうのです。
 
聖霊の感化を絶えず受けないならば、元の状態に戻ってしまうのです。
 
人間の習性はすぐには変わりません。
生まれつきの本性が変わるためには時間がかかるからです。
 
生まれつきの本性から解放されたいと願います。
 
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祈りました。
いつもイエス様から目を離すことなく、聖霊の感化を絶えず受け続けられるように備えて生活できる者とならしめたまえ。