ごきげんよう!さわこです。
確定申告が迫ってきました。
遅くまで、パソコンに向かっていたら、切りの良い所でやめたのに、眠くなりません。
日は変わって、一時になろうとしているのに、困ったもんです。
アメブロサービスさんが、4年前の記事を紹介してくれていました。
少し整理して、再編集しました。
タイトルも新しくしてみました。
友が涙をこぼしました。
「生きるって辛いことが多いよね・・・
十字架のイエス様を
我が神、わが主と信じていなければ
立ち上がれそうにないことばかり・・・」
詩編56:2,9
「神よ、あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。
あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」
マタイ5:4
「悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる」
作者 ゴードン・ジョンソン
(島田真澄 著 「悲愛の人」 福音社より)
なぜ、涙が出てくるのか不思議に思いました。
物事は、あてにしていたような結果にはなりませんでした。
しかし、神はそばにお立ちくださり、落ちる涙を御覧になっています。
涙は神がおわかりになる言葉です。
神はうちひしがれた魂の涙を御覧になっています。
神はあなたの涙を御覧になり、その落ちる涙の音を聞いておられます。
神は人と一緒に泣いてくださり、手を取ってくださいます。
涙は神がおわかりになることばです。
悲しみがあなたを惨めにするとき、涙を流させるのです。
その重荷にとうてい耐えきれないように思うのでしょう。
しかし、神はあなたをお忘れではありません。
神の約束はかわりません。
涙は神がおわかりになる言葉です。
「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし」徳川家康は言いました。
「涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように」真夜さんの歌にもありました。
(苗字を思い出せない)
いつの時代にも、何処の国にも、涙を流さない人はいない。
マラナ・タ
私の嘆きも悲しみも、神様はご存知で、
私の涙の行き先は
神様のもとであるという事実は、
なんというなぐさめでしょうか。