ごきげんよう!さわこです。
 
見つけました桜
 
よくは分かりませんが、もしかしたら、河津桜?
 
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2021.1.30  今日の光より
 
イエスが私たちの犠牲となって死に、
復活しておられなかったなら
、私たちは決して平和を知ることも、
喜びを知ることもありませでした。
 
私たちは、自分の罪が刺し通した方
キリスト・イエスを眺めよう。
 
そして、進んで
謙遜の杯を飲ませて頂こう。
 
イエス様は、
私たちの罪の混ざった苦い杯を、
私たちの口から取り
それを飲んでくださった。
 
私たちの苦い杯を、
祝福の杯に
取り替えるためでありました。
 
私たちの渇いた魂を、
生ける水の流れで満たして、
私たちの心に
神のかたちの印を押してくださいました。
 
 
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以下、今朝のデボーションです。
 
私の信仰告白です。
 
そのために、私はここで発信しているのです。
 
私たちが信じている聖書の神様は、
このようなお方なのです。
 
天地万物を創造された神様を崇めない国民は、
どこにもいないはずです。
たとえ、国家の法律で神の存在を禁じられても、
太陽も月も星も、
大地も山々も、
空も海も、
それらの存在そのものが、
創造主の存在を証していますのですから。
 
この大自然を、人間の叡智と力で造ったのだと、言う人がいたら、「大ぼら吹き」だと誰もが思うことでしょう。
それなのに「神」の存在を否定するとしたら、否定する人もまた「大嘘つき」だと、自白しているようなものです。
 
その神様が、創造主であるばかりか、
私たちの過ちを罪を贖ってくださったことを
 
聖書は証しています。
 
創造主は同時に
贖い主であられることを、
 
私は、聖霊の神さまの導きによって、
初めて理解できました。
 
この導きがないならば、
神さまとは、創造主であられるとの
一面だけしか知りませんでした。
 
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今日の「今日の光」を読んで、
イエス様の飲まれた、さかずき(杯)の意味がよくわかりました。
本来、私たちが飲まなくてはならなかった罪の報酬。
 
マタイ26:26-28
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、讃美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「とって食べなさい。これはわたしのからだである。」
また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」
 
私たち人類の罪を、神御自ら、罪なきお方が、ご自分の犯した罪であるとして、代わって、罪びととして十字架にかかってくださった。
 
 
 
マラナ・タ
霊の目を聖霊の神様によって開いていただくなら、今まで理解できなかった聖書の言葉が不思議と分かるようになります。
どうしたら、霊の目が開かれるのでしょうか。
「求めよ、そうすれば与えられる」という、お約束が聖書にあります。
神様は、天から見渡して、本人も気づかないままに、求めている真剣な魂(人間)を見つけてくださるのです。