ごきげんよう!さわこです

 

私たちが

意識していようと

無意識であろうと

私たちには、

背負っているものがある。

 

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々には、自己を過信し、

自分自身の知恵に頼り、

神を我々の力としない危険が

絶えずある。

 

この危険を回避するためには、

祈りと共に、用心深くあることである。

我々がすべきことは、

祈るのと同様に

よく見張りをすべきである。

 

 

エスが,

私たちの性質を取られたのは、

人が直面する試練を知るためであり、

父なる神の前で私たちの

仲裁者、仲保者となるためである
 

 

様が、

私たちの救いの計画を実行なさるならば、

私たちは、

そのことを信じ受け入れ、

神に立ち返る選択しか残っていない。

 

 

聖霊が働く時に、

人々は

神の御言葉の真理に

引きつけられるのです。

 

「ささいなこと」は、

私たちの信仰を成長させ、

時間をかけて、

より大きな挑戦にも私たちを

備えさせるのに役立ちます。

 

 

マラナ・タ

私がささいなことにおいても

信仰を働かせますように、

神様に忠実でありますように、

祈りました。