ごきげんよう!さわこです

 

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今週の安息日学校ガイド研究 4課より

 

私たちの生来の傾向には、目に見、感じ、味わい、触れるもの、に惹かれます。頼りがちです。

しかし、これらは、この世のものなのです。

 

「我々が怖れねばならない唯一のもの、それは、恐れそのものです」(フランクリン・D・ルーズベルト1933年3月4日国会議事堂にて)

 

「神ご自身を畏れるとき、私たちには何一つ恐れるものはない」(イザヤ8:11~15より)

 

黙示録14:6~12では、三人の天使が全世界に向かって、地上の獣の力をたたえるのではなく恐れるのではなく、神を畏れその栄光を讃えなさいと告げています。

 

神を畏れるとは、宇宙を支配される最終的権威としての神を認めることです。

 

ところが、ユダ王国のアハズ王は、異教の宗教と深くかかわっていました。(列王記下16:3,4、10-15、歴代誌下28:2-4、23-25)

 

これら異教の宗教は、オカルト(神秘主義)と非常に関わっていました(申命記32:17)

 

現代の多種多様な魔術は、聖書以外の古い文書からもあきらかなように、古代中近東の習慣と驚くほど似ています。

事実、今日のニューエイジ運動(新時代主義)の多くは、こうした古代の神秘主義的慣習の現代版とも言えるものです。

 

私たちの周囲を見渡せば、一見それとはわかりにくいさまざまな神秘主義や心霊術の影響にさらされています。

 

(以上、抜粋・引用)

 

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サタンは、各時代時代に応じた方法で、(古臭くいかにも怪しげな方法は、古代人ならだまされたけれども)この科学万能的な時代には、現代人にふさわしい方法で「現代主義的ニューエイジ運動」というスタイルで忍び寄ってくるのです。

 

私たちは、昔も今も、何と危険な時代に生きているのでしょうか。

当然です。この地上の王はサタンです。

サタンは、神様から管理者としての立場を与えられたアダムを騙して盗み取ったのですから。

 

完全であったはずのエデンの園に、サタンは美しい七色の羽と声を持つ蛇に扮して侵入してきたのです。

 

天上で天使の長であり聖歌隊のリーダーであったルシファーの心に芽生えた、神様への競争心・対抗心・嫉妬、こうした反逆心が、三分の一の天使を誘惑してだまし自分の配下に置きました。

神様に宣戦布告し、神様によって創造されたばかりの地球のエデンに侵入してきたのです。

 

人類の父祖アダムとエバは、サタンに目を向け、耳を傾け、その結果、自分の心をサタンの支配下に置く結果となってしまった。

 

神様は人類を創造されるにあたり、このようなサタンの計画に人類が惑わされてしまった場合(罪)への備えを用意しておられました。

 

それが、創世記3章15節です。

ここは、原福音と呼ばれています。

 

「・・・彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」(彼とは、キリスト。おまえとは、サタン)

 

バプテスマから、半年後くらいでしょうか。

礼拝説教で、創世記3:15の解き明かしを聞きました。

十字架について、私の霊の目が開けた瞬間でした。

 

私は、御霊の導きに拠って「聖句そのもの」から「み言葉そのもの」から、でなくては、納得できないのです。

 

教会には、親切な人がいる。やさしい人がいる。尊敬できる人がいる。

そういう形で、教会に好意を抱き、その人間関係の輪の中で、信仰が養われ、交わりが深まり、その結果、キリスト様を信じるというタイプも多いようです。

 

しかし、そういう方にとっての危機は、牧師の異動によって、教会への関心が失せる。

信徒につまずく。説教や聖書の学びにつまずく。(自分の好みしか受け入れられない)

そういう人間的な傾向も・・・あるように思えるのですが。

 

自分の心を神様に明け渡して、新たな悔い改めに導かれ、自分の内にキリスト様を内住し続ける信徒へと変えられて行くきっかけとなりますよう願います。

 

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神そのものであられ、創造主そのものであられた御子なる神が救世主(ギリシャ語でキリスト・ヘブル語でメシヤ)として、十字架にかかりサタンに勝利し復活し、昇天され、再び地上に戻って来られることによって、人類を救出する計画が、天上であらかじめ計画されていたのです。

 

創造主なる神が同時に贖い主として、人類の歴史の中に、如何にかかわって、人類を罪から完全に回復していくか、その計画書が聖書なのです。

 

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マラナ・タ

今週のガイド研究からのデボーションです。