ごきげんよう!さわこです

 

今朝は、7時半に家を出て、川に沿って、隣の隣の町まで歩きました。

帰宅して時計を見たら、1時間のウオーキング。

6105歩でした。

 

しらざき、あおさぎ。

 

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今朝はあまり人が通らない静かな道。

日曜日には早起きしない人が多いのかな。

 

”日曜の朝くらい、ゆっくり寝よう”
 

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途中で、立ち止まって、小さな声でお祈りしました。

 

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教会につまずき、

クリスチャンにつまずき、

クリスチャンの家族につまずき、

 

神様に心を閉ざし、

 

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神さまには、関心はないのだと、

公言しないではいられないほど

心の傷が深い人たちが、いるのです・・・

 

 

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哀しい祈りの課題、執り成しの祈り。

祈りの最後は、神様を讃え感謝する祈りに辿り着くのですが・・・

 

それでも、哀しいことが多すぎる。

コロナ禍のこの時代、

なおのこと、・・・

 

 

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帰り道で、黄色い蝋梅の花が。

好きな花を見ると、幸せになる。

 

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イエス様のゆえに、

苦しむ魂は、癒されるはずだと、

その悲しみを、癒してくれるはずだと

決して見捨てられることはないのだと、

確信を強めさせてくださいと、

祈りました。

 

冬の花、水仙。

今日、教団で「推薦委員会」が持たれています。

教団の5年間の人事が決定されます。

そのことも覚えて、祈りました。

 

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旧約時代には、神様は預言者を通して、イスラエルやユダヤに、激しく譴責なさいました。

イエス様は、パリサイ人や祭司、律法学者たちに譴責なさいました。

教会時代には、旧約・新約合わせての聖書が与えられています。

 

イエス様を知らない人よりも、イエス様を知っていると公言する人が、罪が深い。

悔い改めの祈りに導かれなくてはなりません。

ペテロは、クリスチャンから神のさばきが始まると書いていました。

(そんな記憶があったので、ペテロの手紙を読み返して探そうと思います)

 

イエス様の譴責は、預言者や使徒たちの譴責は、先ずクリスチャンである私たちに言ってくださっているのだと受け止めなくてはならないのだとの思いを強くしました。

 

 

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大きな木が切られていました・・・

この場面から、一つの聖句を思いました。

 

「みな互いに謙遜を身に着けなさい神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜るからである」ペテロ第一4:5

 

そこで、すぐに、「謙遜ぶってしまう」愚かさも思いました。

そういうのを「謙遜傲慢」って言うのよ。

間違わないで、と言ってくださった方がいらっしゃった。

 

マラナ・タ

天のお父様、イエス様の謙遜を、私たちにください。

 

「万物の終わりが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。

何によりもまず、互いの愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。」

ペテロ第一4:7