ごきげんよう!さわこです

 

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一昨日と昨日の通読箇所を今、読みました。

三日分溜めてしまいました。

 

今朝は、神様が3時半に起こしてくださったので、

問題解決です。

 

イエス様が十字架につけられた備え日とは、

ユダヤ暦ニサンの月の14日(金)であり、

その日没と共に始まる安息日はニサンの月の15 日で、

過ぎ越しの祭りの第一日と重なる大いなる日でありました。

 

 

印象に残った聖句、三か所から

ヨハネ20:8

「・・・そして、見て、信じた」

 

ヨハネ20:29

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

 

ヨハネ20:31

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」

 

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見て信じる者の幸い

 

見ずに信じる者の幸い

私たちは、書かれたものを読んで信じる幸いな者です。

 

見て信じた人も、見ずに信じた人も、読んで信じた人も、

皆、イエスの御名によっていのちを得てもらいたいとの神様の切なる願いであります。

 

信じることは、神様が差し出してくださった愛なる願いを受け取ること。

 

しかし、誰もが受け取るわけではない。

聖霊の働きに従う者だけです。

 

日々、注がれる聖霊を求め続ける者には、確かに信じる信仰が与えられます。

 

聖霊によって見て信じ

聖霊によって見ずに信じ、

聖霊によって読んで信じる。 

こうして、徹底的に主と共に歩むのです。

 

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ヨハネ18:37

そこでピラトはイエスに言った。

「それでは、あなたは王なのですか」

イエスは答えられた。

 

「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。

わたしは、真理をあかしするために生まれ、

このことのために世に来たのです。

真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

 

真理とはイエスご自身。

 

主イエスは、道・真理・命

真実の真理を求める者は、

各種の宗教を超越して

イエスをキリストと信じるようになります。

 

現に、そのお方なる神がキリスト・イエスと呼ばれていることを知らないままで、知ったかのように生きている人々がいます。

 

知っていると言いながら、その生き方や、言葉、行動において、実は知らないとあかしすることになってしまう人々がいます。