ごきげんよう! さわこです
 
残念ながら、ユダヤの民は、神の御手によりバビロン、ペルシャから救出されてエルサレムに帰還したにもかかわらず、自分たちが天の主のものであることを忘れて、契約の民としてのアイデンティティ(独自性)を失ってしまいました。(ガイド4ページ)
 
 
 
 
 
 
言葉は、人の心にさまざまな情景やイメージを描かせ、心に強い印象を残します。
 
2700年の時を経た今でも、イザヤの言葉が強く生き生きした印象を与えるものそのためです。
 
イザヤ52:13-53:12で「苦難の僕の歌」の中で、メシアの姿を描きました。
 
またイザヤ44:28-45:6ではペルシャ王キュロスの登場を預言しています。
ペルシャがバビロンを征服する1世紀半も前のことです。
 
イザヤの預言があまりにも詳しいので、学者の中には、後世の第二のイザヤによって書かれたものだと主張する人さえいるほどです。それは人間の空想、憶測の産物です)
 
イザヤの存在した時代は、残忍なアッシリア帝国の権利が頂点に達した崩壊の危機でした。
 
このアッシリアに北イスラエル王国は滅ぼされ、10部族は捕囚された後、世界に散逸して歴史から忽然と消えてしまいました。
失われた十部族としてその追跡調査がなされていることでも有名です。
 
その1世紀後に、南ユダ王国がバビロン帝国に滅ぼされ、住民はバビロンに捕囚されます。
バビロンはペルシャに征服されて、先に書いたキュロス王によってユダ部族たちは、エルサレムに帰還することになるのです。
 
(ガイド ”はじめに” から、引用しつつ、短く再編集、青字はガイドから、黒字は私の感想)
 
マラナ・タ
 
2021年度の安息日学校聖書研究ガイドの「はじめに」を読みながら、ソロモンの息子の時代に北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれたことは、ある意味では、イスラエルの神の民が、真実の神が救世主として存在しておられることを(福音)世に伝えるために、アッシリアに一網打尽に滅ぼさし尽くされないために、神様がお許しくださったのではないか?と、神様の憐れみ深さに思いを向けた今朝のデボーションでした。
 
昨日の日没風景
 
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