ごきげんよう!さわこです
 
今朝は、お城まで歩きました。
 
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2020.12.25  安息日学校聖書研究ガイドより
 
 
キリストは弟子たちに、わたしはあなたがたのために、父の家に住むところを備えに行くのだとはっきり言われた。
 
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い及びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」
(コリント第一2:9)
 
限りある人間の知恵では神のパラダイスの栄光を理解することができない。
 
「救われて喜びにあふれた人たちの家郷の麗しさを、わたしたちがどれほど想像しても、実際の輝かしさと壮麗さには、はるかに及ばないものに違いありません」(天つ家郷193ページ)
 
未来の嗣業をあまりにも物資的なものに思わせはしないかとの恐れから、それを我々の住まいとして見るように教えられている真理そのものを、霊的なものにしてしまう人が多い。
 
マラナ・タ
霊的なものとは、神様に属する事。
そのことをいつも心に抱いていればこそ、現実性の中に神の御声を聞き、神の視点で見ることを知るようになる。
霊的なものの見方が、現実逃避や夢想になってしまっては、神様の声をきくことができなくなります。
 
そうなっては、ご再臨の備えにならない。
キリストの内に生きていない。