ごきげんよう!さわこです
昨日、12月17日の夕月は三日月。
60日の祈り12月18日(金) 29日目より抜粋しました。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」 (ガラテヤの信徒への手紙2章19、20節)
私たちは、よいわざのために造られました。
しかし、人間の能力では、人間的な結果しか達成できません。
主よ、モーセが長い間羊飼いをした後であなたに人生を委ねることができたように、私たちの人生をも導いてください。
聖霊の力によって生きるときに、あなたが私たちを通して、しるしや不思議を行ってくださることを信じます。
あなたが導かれるところに喜んでついて行けるように、私たちを助けてください。
多くの若者が、聖書の学びに関心を持つことができるように、若者たちの心に大きなリバイバルが起きるようにお祈りします。
落胆の中にある人々のために、愛する者を亡くされた人々のために、また感染症で隔離され、神様の臨在を求めて祈っておられる方々のためにお祈りします。
マラナ・タ
主のために生きる。
主のために死ぬ。
しかし、それは、義務感でも、責任感でも、達成感を実感するためでも、天国に行きたいからでもない。
自分軸ではなく、神様軸の世界に身を投じること。
それも、神様から与えられた意志による選択の結果なのでありますが、
その「意志」をも、神の御手にゆだねるようにと、聖霊なる神様の導きにに拠るもの。
自分軸であるとともに、そのまま神様軸であること。