ごきげんよう!さわこです
冬の花、水仙が咲きました。
60日の祈り11日目より
「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」
(ヨハネの手紙1・5章18節 新改訳)
罪に支配される人生は、私たちが想像する自由とはほど遠いものです。
「神に献身しようとしない魂はみな、別の権力の支配下にある。
彼は彼自身のものではない。
彼は自由を口にするかも知れないが、最もあわれむべき奴隷状態にある。
彼の心はサタンの支配下にあるので、真理の美しさを見ることがゆるされない。
彼は、自分自身の判断の命令に従っているとうぬぼれているが、
実は暗黒の君の意思に従っているのである。
キリストは、魂を罪の奴隷の束縛から切り離すためにこられた。」
(『各時代の希望』 中巻 255ページ)
キリストに委ねることによって、失うものは何でしょうか?
主は、私たちを支配する絶対的な権力から、私たちを解放することがおできになります。
それは妬み、恨み、争い、貪欲、依存、怒り、誇り、うぬぼれ、落胆、劣等感などです。
覚えてください。
すべての人間は、いつも自分自身の中にある罪と戦っているのです。
罪に支配されている「あなた」が、あなたにとって一番の敵となっているのです。
「魂がキリストに屈服する時に行われる変化の中に、最高の意味の自由がある」(同上)
陶器職人の手で粘土が練られるときに、最高の器を造り上げる事ができます。
同じように、私たちも自らを神の手に委ねなければならないのです。
「いっさいの能力を神に従わせる時、
人生の問題は非常に単純になります。
生まれつきの心の情欲との限りない戦いは下火となり、
終息してしまいます。」
(『希望への光-クリスチャン生活編』 348ページ)
私たちが神に委ねるときに、人生は持続する喜びに満ちたものになります。
「キリストをみことば通りに信じ、
自分の魂をキリストの守りに委ね、
その生活をキリストの命令に従わせる者には、
平安とおだやかさがある。
イエスがそのご臨在によって
彼らをよろこばせてくださる時、
この世のどんなものも
彼らを悲しませることができない。
ただ黙々として従うことに完全な休みがある」
(『各時代の希望』 中巻 53ページ)。
主は今日、あなたをこの完全な平安へと招いておられるのです。
祈ります。
私たちを、悪い者からお守りください
主よ、あなたに委ねるなら、悪しき者から守ってくださるという約束に感謝します。
私たちを、完全な喜びにあふれるあなたの道へと導いてください。
マラナ・タ
神の御手の中に自分自身を全て委ねないなら、自分はサタンの手の内にある。
あなたの敵は、罪に支配されているあなた自身。
さあ、今すぐ、主の御手の中に、全てをかなぐり捨てて、避難しようではないか。