ごきげんよう! さわこです
 
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安息日の通読箇所は、創世記25:19-28:9
 
双子の兄弟ヤコブとエサウの経験から学ぶことは大きい。
  
両親イサクとリベカも含めて、
罪が介入した世界での親子関係、
兄弟関係の肉なる性質が絡み合って、
祖父アブラハムから三代目にして、
聖書の神を崇める民、
救い主キリストに繋がるイスラエルの民の
悲劇が再度繰り返されます。
 
神様は危機のたびに介入なさり、
やがてナザレのイエスが、
聖書の預言通りに初臨なさるのですが。。。
 
スタディバイブルに註釈として引用される
EGホワイトの文書は、
この悲劇から示されていることを理解する助けとなりました。
 
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スタディバイブル口語訳 旧約聖書44ページの脚註です。
 
聖書の中の伝記は、
ありのままの生涯を描いているという点で、
他の伝記とは類を異にしている。
 
有限な人間の頭脳では、他人の行為を、
何から何まで、正しく解釈することはできない。
 
人の心を読み、
動機と行為の隠れた源を見分けられる神よりほかには、
誰も絶対に間違いなく品性を描くことも、
人生のありのままの姿を伝えることもできない。 
このような描写は、
ただ神の御言葉である聖書の中にだけ見られる。
 
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私たちは、憶測から憶測で理解しようとすることが無いだろうか。
その結果、その発言が、人を卑しめてしまうことがある。
心にもないことを言ってしまった…と詫びることがしきりに多い人がいる。
 
何を憶測で語ろうとよい。
さばきの座で、神様に尋ねられる日が来ることを
覚えておきさえすればよい。
 
忘れました・・・
覚えていません・・・
冗談でした・・・
傷つくとは思ってもいなかった・・・
 
笑って済まされるのでしょうか。
 
以下の三つの御言葉をいつも忘れないでいなければなりません。
 
だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言い開きをすべきである。(ローマ14:10)
 
神はおのおのに、そのわざにしたがって報いられる。(ローマ2:6)
 
なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ、悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。 (2コリント5:10)
 
マラナ・タ
神はすべてを見ておられるのです。
お調子者は、特にご用心。