ごきげんよう!さわこです

 

 

堕落した人は、心を新たにすることによって造り変えられることができる。それは彼が、「何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかをわきまえ知る」ようになるためである。

(ローマ2:2より スタディバイブル345ページ)

 

では、心を新たにすることは、どうしてできるのだろうか。

 

「彼の思い、霊、心、そして品性を聖霊が所有することによってである。人間の品性の上に、聖霊の働きが現実になされ、その実が見られるのである」(ローマ2:2より スタディバイブル345ページ)

 

それは、その人の心に、聖霊によって、このままの私を変えられたいという思いを与えられるからです。

 

 

 

何故、聖霊様が働かれて、その人の思いを所有なされたのか? 

 

様々な理由を後付できるのですが、それは神秘であり、ある日、神の霊が働かれたとしか言いようがないのです。

 

立ち返るようにと招く神の霊は、いつも働き続けていますけれども、その小さい御声をキャッチする不思議なタイミングが誰にも起きるゆえなのでしょう。

 

 

身近なクリスチャンの神を頼る忍耐強い生き方から、その人の品性の気高さを見て、生ける神キリストの実在を認めざるを得ない思いが溢れ出て、信仰を持たれたという人があります。

 

クリスチャンは、キリストの手紙であり、また商品見本のようなものだと言われる所以なのでしょう。

 

 

しかし、逆の場合もあります。

身近なクリスチャンにがっかりしたとか、キリスト教国家のあり方に嫌悪感を持ち、キリスト不在のキリスト教など信じるに足らず、と長年背を向けて来た人もいるからです。

私が、その典型的な例でした。

 

 

しかし、31年前の秋、聖書を学んで(山形俊夫先生の作られたSDA教団の「預言の声・聖書通信講座」)

御言葉からダイレクトに生ける神キリストにお目にかかってしまいました。

 

信仰心が天から降って来た。

出エジプト記に記されているように、天からマナが降って来た。

生ける御言葉キリストが、悩み苦しみ求める私に降りて来られました。

それだけでなく、私を包み込みました。

 

私の心の奥に、はっきり聞こえました。

 

「わたしは、あなたを知っていた。

あなたが、わたしの名前を知らない時から、

あなたが、わたしを探していることを知っていたよ。

もう、だいじょうぶだ。」

 

 

それから30年

 

10月は私の霊の誕生月。

私が新生にあずかった月。

 

 

マラナ・タ

今朝「今日の光」を読みながら、デボーションに導かれて、

その後スタディバイブル口語訳でローマ12章を読みふけりました。

聖書には、私を捉える御言葉があふれていますが、今朝は、ローマ12章です。

本日の通読もまだなのですけれども。